深見東州 (半田晴久) 氏のさまざまな活動に参加してきたワールドメイト会員が案内します

ワールドメイトで学んだ神人合一の基礎とは

Fuziwara

ここ数年、深見東州先生の活動は、社会のさまざまなところで見られるようになりました。新聞でも深見先生に関する記事を見る日が増えました。それも、深見先生の素晴らしさをかなり適切に書いてあるものが多いようです。

ワールドメイト会員の私は、喜ばしいことだと思って見ています。そして、私もその深見東州先生の活動を、できるだけ紹介してきました。ワールドメイトの活動はもちろんですが、ワールドメイト以外での活動が、特に最近増えています、というか目立ってきています。

それらもできるかぎり参加できるものには参加し、それを、こちらで書ける範囲で書いてきました。

しかし、ふと思うと、どうして深見東州先生がこのような活動をされているのか。また、なぜあそこまで多面的な活動が可能なのか。その根本については、書ききれてなかったなと思います。

書けなかったと言った方が正解かもしれません。もう少し、そのあたりのことも、これからは書きたいと思います。

深見東州先生が様々なことをできるわけ

前置きが長くなりましたが、深見東州先生があれだけ色々なことをできるのは、一言で言えば神人合一されてるからだと思います。たとえば芸術活動だけでも、クラシックからジャズからなんでも歌われます。それもすべて一流歌手のレベルであるのは聞けばわかります。

また書は、やはり何種類もの筆跡で書くことができる、まるで空海のような書です。昨年は大英博物館から、書のデモンストレーションを依頼されています。

絵画は、これも見たらわかりますが、とても普通の人ではかけないような見事な絵画作品です。ある人はセザンヌは超えていると評しました。

絵画の専門家は、巨匠の絵画であると評する人がいます。私は専門家ではないですが、大いに同感です。ゴッホとか、マチスとか、そんなレベルで評されてもよい作品だと思います。

また、能、京劇、バントマイマーでもあり、とくに能は堂々とした風格と品格があると、能楽師からも評されています。

ギャグ連発のバントマイムも、時代が昔なら、キートンなどの喜劇役者と肩を並べただろうと評するマスコミもいました。

そして短編作家としても、いくつか作品があります。それを原作に、自らの劇団を率いて、監督から演出、音楽まで手掛けてシェークスピア劇団の再来と言われるような楽しい大衆演劇を、定期的に開催されています。

ファッションショーを自らデザインした作品で行ったこともあります。作品は、有名なデザイン協会の賞を取っています。華道、茶道、陶芸、指揮、バレエもいくつかの実績を残してきました。

さらに経営者として、いくつもの会社を作って成功させ、中小企業のコンサルとしても、たくさんの実績を残してあります。

シンポジウム、グローバルサミット開催も主催し、世界のオピニオンリーダーを多数招聘して運営からモデレーターまで、すべてを切り盛りされます。政治・外交・経済の論評も行い、いずれも専門家並みの知識と、それ以上の的確な判断を有しています。

また、人類愛にもとずく、世界的な福祉活動、人権問題への取り組みも、民間の日本人としては驚くほど積極的に取り組まれています。その実績は海外の人々から大きく評価されています。

スボーツの支援にも積極的に取り組んでいます。とくにゴルフにおいては、世界の主要ツアー関係者、選手との信頼関係も築いています。日本でも、今年は男子ツアーを主催され、グローバル化に向けた画期的なトーナメントを企画し実行されました。

さらにカンボジア首相顧問をはじめ、世界中の様々な公的機関の役職も多数あります。賞や名誉ある地位も授かっています。

名誉職ではない、厳しい論文審査を通過した一流大学の博士号も現在2つ取得されています。

極めて簡単に書きましたが、それでもキリがないのでこれくらいにしますけど、こういうことを一人の人物がすること自体、考えられないことだと思います。

最近、新聞で報道されている活動は、エンターテインメント的なものが多いです。しかしその陰では、その何倍もの多くの公益活動、慈善活動、文化活動を同時並行で進めていかれています。

神人合一のことを学ぶ意義

ワールドメイト会員は、深見東州先生が神人合一されているから、あれだけのことが同時にできると理解しています。その最終の目的は、日本を中心とした世界平和の実現があるわけですが。

それで、どうやったら深見先生のように、神人合一して万能の人になれるのか?それを最短で学べるのも、ワールドメイトの大きな特徴です。

しかし、どんなに頑張っても、深見先生のようにすぐになることはできません。残念ながらそこまでは無理だとしても、悲観する必要はまったくありません。

今すぐになれなくてもいいのです。なぜなら人は生まれ変わりするものなので、今世に培ったものは、なんらかの形で来世にも継承していけるからです。

あせらずに、何回生まれ変わろうとかまうものかと思えば、やがては神人合一できる時がくるかと思います。

と言うことで、今世において、つまり今の人生において、少しでも素晴らしくなりたいと思うのは当然のことなので、その人の生まれ持つレベルに応じた一番最高の人生を送ることができれば素晴らしいことです。

その意味でも、神人合一というものを学ぶことは、とても意義があると思います。

ちなみにワールドメイトで昔言われていた、松竹梅という段階があります。松レベルの人は、とにかくひたすら運がよくなりたい、今の苦しみからなんとか救われたいと、救いを待つという意味で松レベルと言います。

そして次は、いろいろと学びたい、真実なものを学び、研鑽したいと思うのが竹レベルの人です。神人合一の道を学びたい人も、この竹レベルであり、竹のようにすくすく伸びるという意味があります。

梅レベルは、自分のこともですが、とにかく世のため人のため、神様のために生きたい、神様のために何かをすることが喜びだという人です。神界の花と言われる梅にちなんで、梅レベルといいます。

実際には、松竹梅の複合のような人が多いです。つまり、現実面でなにかの苦しみから救われたい部分も持っていて、でも、神人合一の道も学んで会得したいと研鑽もし、さらに、神様のため世のためになにか役に立ちたいという高貴な志も持って実行しているというパターンです。

神様の役に立ちたいと言っても、それには、ある程度のレベルで神人合一してないと難しいでしょうから、実際には梅の志を持って、竹のように研鑽し、たまに松にもなるという人が多くなると思います。

たとえ救済だけを望む松だけでも、勉強だけしたいという竹だけでもいいと思います。ワールドメイトでは寛容に受け入れる環境があります。様々なニーズがあるこの時代に合ったものだと言えます。

本来は、埋めレベルを目指すのが良いと思いますが、そのような志を持つ人が目指せば良いということで、無理にそれを求めることはされません。

生活の中にすべてがあった

ではいよいよ、その神人合一について、深見東州先生はどのようにいわれているかというと、その基礎は、すべて生活の中にあるとのことです。

言うまでもありませんが、深山幽谷にお籠りして寒修行や荒業するようなことはしません。ヨガのような瞑想もしません。

では、生活の中にすべてがあるとは、どういうことなのでしょう。深見先生の師にあたる植松愛子先生は、「日常生活の中で、あなたのお家、あなたのお部屋、机の中を整理整頓しなさい。それがすべての修行なのですよ」と言われています。

難しい言葉は一切ありませんし、また、毎日のありふれた日常の中にすべてがあると言われると、ものすごく意表を突かれた気がしました。

最高に高尚なものとは、とても難解なもののような気がしますし、手の届かないような世界にある気がしますが、実は、もっとも身近な平凡なところに真実がありました。

禅宗の道元禅師は、「遍界(三千世界)いまだこれを隠さず」と言ったそうですが、真理とか真髄とかを、天はいまだかつて隠したことがない」と表現したそうです。

あたり前のことの中に素晴らしい真理があることを道元さんは悟ったということです。そうなると、悟った後ではすべてを見る目が変わってくるそうです。

禅語に「柳は緑、花は紅」とありますが、普通に聞くと当たり前じゃないかといいたくなります。中には花には黄色も白もあるぞと言う人もいるでしょう。

しかしそんなことではありません。これも、柳は緑のままで森羅万象を語っており、花は紅のままで、森羅万象のすべてを語っているとのことで、そこに真髄を見ている境地を言ったものだそうです。

他にも、「眉毛眼上にあり」とありますが、これは虚心坦懐に、素直に物事を見る中に、奥底を悟るということを言ってるそうです。

ということで、素直というのが、とても大事になってきます。ただ素直と言っても、なんでもハイハイ言うのが素直ではありません。ここから次回の記事では、生活の中での修行について書いていきます。

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ワールドメイト会員歴は30年超
以前、「深見東州(ワールドメイト代表)の実像に迫るサイト」を運営していました。わけあって、新たにサイトを立ち上げる事にしました。昔、書いた記事はリライトしてから、随時、こちらのサイトに投稿する予定です。
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