他の宗教とは違い、神道は何に価値を見出すのか
ワールドメイトのホームページに、神道の特質として、以下のような記述があります。
神道は、「聖と俗を区別して、共存する」という特質を持ちます。また、「生業(なりわい)や家を栄えさせ、コミュニティーを繁栄させる」という、特質があります。さらに、「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」特質もあります。それが、神ながらの大和魂です。ワールドメイトも代表の半田も、この特質を持つものです。
この最後の「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」という部分について、今回は書いてみます。
ワールドメイト入会のいきさつ
一般論ですが、日本では宗教団体に入信する人というのは、どこか社会的に恵まれていないとか、あるいは心が弱い人間ではないかと、言われることがあります。
実は、僕自身もそのように思っていました。なので神様の存在も、宗教も否定しませんでしたが、宗教団体に入信しようと考えたことは一度もなかったのでした。
そんな僕が深見東州先生の著作を読み、この人は何か他の宗教家とは違うなと直感し、非常にユニークで興味深い内容に惹かれ、また当時はコスモメイトでしたが、おかしな団体ではなさそうでしたので、ノコノコと本部に出かけていきました。そして雰囲気が良かったので、そのまま入会したのです。
その頃の深見東州先生は、今のように日本や世界で有名というわけではなく、日本の小規模な、イチ新興宗教の教祖だったといえます。
しかし、1990年代から、早くも世界での活躍がはじまり、活動の幅も広がり続け、スケールも年々大きくなっていきました。
今日はその内容について、詳しく書くことはしませんが、「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」という部分につながりますので、また後で説明します。
生活を生きつらぬく神道
それで先ほどの、宗教は心の弱い人たちが、救いを求めて入信するという意見には、たしかに一理ありました。
日常の暮らしの中で、何からの悩みを抱えている人、あるいは社会でうまくやれない人、またかなりどん底のような苦しみを持つ人も、実際に多くいました。
悩みなんて、大小、誰にでもあるとは思いますが、宗教を求めてくる人の多くは、どこか社会の厳しい現実から逃避している部分を、やはり感じることがあります。
それが悪いとは思いません。そんな人が信仰の力によって、癒やされて元気になるので、それは良いことですし、宗教の存在意義にもなっていると思います。

で、ここからが大事です。
神道というのは、癒しでは終わりません。元気の素をもらい、性格も明るくなっていきます。
そして大事なのは、そこから現実の中に再び飛び込んでいく力をもらえることです。
先ほど、現実逃避している人が多い傾向があると書きましたが、いつまでも現実から逃避し、社会の常識や厳しい現実から気持ちが逃げていては、社会の中で逞しく生きていことはできません。
十分に回復したら、今度は世の中で、しっかりと生きていくことが大事になります。
たとえば、会社や学校などでイジメにあい、働く意欲をなくし、勉強も遊びもできなくなり、人が怖いという人もいます。
そんな人が、厳しい現実の中に戻って、多少の苦しみがあっても、それを跳ね返し、逞しく生きていくことができ、社会に適合できる(迎合とは違います)人に変わっていくのが神道の持つ可能性であり、特質ではないかと思います。
そのことをして、「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」と書かれているのでしょう。それは、人が生まれてきた目的である、”魂の向上” につながるものでもあります。
乗り越えていく精神の輝きに価値がある
仏教やキリスト教も少し勉強しましたが、素晴らしい教えがあり、同時に神道を含めて、どの宗教にも一長一短があるように思います。
その中で仏教やキリスト教は、現実社会を逞しく生きつらぬく教えというより、内面的な救いや、あの世での救いというものが強い傾向があると思います。
イスラムの過激派の中には、聖戦で死ねば、それが実質テロ行為と言われるものであっても、あの世で救われて、素晴らしい待遇が待っていると教えられ凶行に走る人もいると聞きました。もちろん極端な例であり、イスラム教の本質とは思えませんが、それにしても神道(国家神道ではない)では、絶対にありえないことだといえます。
神道でしたら、虐められたり、苦しめられたのであれば、したたかに、社会の中でやられないような知恵を発揮し、どこまでも逞しく生きていく道を貫くのではないかと思います。そこはユダヤ教と似てる部分を感じますね。(今のイスラエルのネタニヤフ政権がやっていることは、本来のユダヤ教とは違う、逸脱するものだと思いますが)
それで、実際にワールドメイトの深見東州先生そのものが、そのような方です。1990年代初め、全くの濡れ衣によって、国やメディアや世間からひどいパッシングを受けた時期がありました。間違っている部分は、裁判に持ち込み、法に基づく公平な裁きの上で勝ち取られ、また和解をしてきました。
その上で、決してメディアを恨むことなく、国を恨むこともされませんでしたが、再びそのような最悪のケースにならないよう、知恵を絞り、対策を練り、社会の厳しい現実に向き合って、乗り越えられてきた過程を、まざまざと見てきました。
ですのでワールドメイトでは、深見東州先生により、厳しい現実社会に負けないための、社会で立派に生きていけるための、社会生活や仕事に役にたつ、たくましい生きた教えがたくさんあるわけです。

最初に書いた「神ながらの大和魂」も、その中で発揮されていきます。それらを助ける祈祷の数々もあり、それもワールドメイトの素晴らしい特徴なのですが。
実は仏教にも、例えば禅宗の十牛図には、最後の段階で巷に出ていくことで、悟りの道が完成することが説かれています。いくら内面の悟りが深く、高い境地に達していても、世の中に出て活かしていかなければ、また通用するものでなければ、その修行は十分だったとはいえないわけです。
そういう意味で、禅宗と神道には、共通する部分があるともいえますね。
そのような生き様を貫くとき、その精神や魂はピカピカに輝いています。神ながらの大和魂です。そこに価値を見出すのが神道なのです。











