深見東州氏 (ワールドメイト代表) の実像に迫る
サイトの趣旨

はじめに

このサイトでは、宗教法人ワールドメイトにおける活動にとどまらず、多くの分野をまたいで異次元の活動を続ける深見東州氏(本名は半田晴久、普通は深見先生とお呼びしてますが)について書いています。
 
なぜ、宗教法人ワールドメイトの教祖が、コンサートで歌い、絵を描き、能を舞い、ギャグ満載の劇団を主宰し、小説や詩を書いているのか?
 
なぜ、世界の主要ゴルフツアーでトーナメントを主催(またはサポート)する国際スポーツ振興協会(ISPS)の会長として、さまざまなスポーツを振興するのか。

なぜ、ビジネスにおいては予備校のみすず学苑、複数の高級ブランド時計の総代理店でもある株式会社ミスズ(HANDA WATCH WORLD)をはじめ、国内外に10数社の会社を経営しているのか?
 
また、世界の様々な分野の第一人者となる専門家、政治家とも交流があり、国際問題に関するサミットを開催し、国連機関や列国議会同盟とも協力し人権や教育の振興、社会の発展に寄与する活動を行い、世界的なチャリティ活動を通して英国王室と親交を持つに至ったのか?
 
などなど、深見東州氏に関する謎は深まるばかりで、よく分からないという声も聞きます。

そもそもなぜあらゆることができるのか?本当にこんな人物が日本にいるのか? 何か胡散臭い問題ある人物じゃないのか? などと疑問を持つ人もいます。
 
それらを踏まえつつ、このサイトではワールドメイトを含む、深見東州氏のあらゆる活動を紹介していきたいと思います。

それを通じて、深見東州氏の考えや、深見東州氏が取り組む活動に対する様々な疑問への解明のヒントになり、また理解につながる情報を伝えることができればと思って書いていきます。

複数の顔を持つ

深見東州氏とはどのような人物か?

深見東州氏は宗教家ですが、経営者、音楽家、画家、書家、能楽師、京劇俳優、オペラ歌手、小説家、詩人、茶人、華人、俳人、劇団の演出家、ファッションデザイナー、大学教授でもあります。

そして、スポーツや芸術、学術や教育の振興、世界的なチャリティ・福祉活動を手がけるなどなど、いくつもの顔を持ちます。

二つの文学博士号(Ph.D)を持ち、国内外の複数の大学で教授を歴任してきました。また国内外において、10数社を経営し、成功させています。

また創作活動においては、楽曲を400曲以上作曲し、オペラ歌手、ジャズ・ポップの歌手として、多くのコンサートを行い、CDも数多くリリースしています。

絵画や書の作品数は3500点を超えています。小説や詩集を含む、さまざまな分野に及ぶ著作は300を超え、ベストセラーも多数あります。

カンボジア王国政府顧問、在福岡カンボジア王国名誉領事、英国王立盲人協会副総裁、などなど国内外に公職を多数兼任しています。

宗教だけが人を幸せにするものではないとして、社会をよりよくするために、現在も世界中で様々な活動を行っています。

宗祖存命の天啓宗教

ワールドメイトとはどのような団体か

ワールドメイトとは深見東州氏を教祖とする神道系宗教団体です。開祖は生涯の師である植松愛子氏。

神道なので、あの世の幸せよりも、現実の仕事や家庭、社会が良くなり、幸せで繁栄するための教えが中心です。

また深見東州氏は、神は宗教だけでなく、真善美の3局面があると信じます。

純粋な宗教活動や、貧困地区における病院運営、孤児院の運営など社会的に弱い立場の人々を救済する活動を中心にしながら、障害者スポーツをはじめ、さまざまなスポーツの振興や芸術の振興にも力を入れています。

宗教を中心にしながらも、さまざまな真善美の活動を通し、人々の幸せや、社会が良くなるために活動しています。

自分に合う宗教を見つけて信仰することを推奨する国民皆信仰に賛同しています。

拡大主義ではないため布教活動も強制のない緩やかなものです。

会員に政治活動を強いることは一切ありません。

神社や神道のあり方にならい、「来るもの拒まず、去るもの追わず」であり、活動に束縛や強要がない、無理な献金も行わない、社会性や良識を大切にする宗教です。

深見東州氏の

活動の足跡

2021年〜
2011年〜2020年
2001年〜2010年
1991年〜2000年
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複数の顔を持つ

深見東州氏のプロフィール

書籍やホームページなどからまとめた、深見東州氏 (半田晴久) 氏の様々な分野におけるプロフィールを紹介します。最新ではないものもあるかも知れませんが、ご了承ください。

同志社大学入学〜就職で上京

同志社大ではESSに所属し、英語でディベ―トを学び、現在ではネイティブレベルと言われています。

現在の、深見東州先生のジョークを自在に挟んだ英語のスピーチ、討論、日常会話などを見ると、現在のインターナショナルな活躍において、語学力が欠かせない重要な要素であることが理解できます。

実は大学では日本文化を勉強したかったそうです。ところが父親の強い命令と、叔父が神戸大学のESSで活躍していたこともあり、2人から無理やりにESSに入部されられたそうです。

深見東州先生はそれを運命と思い、ESSの活動に徹していったそうですが、それが学内でも評判になり、3年時には部員400人の委員長(プレジデント)となります。

そして組織の改革を成功させたそのエネルギッシュな活動ぶりは、未だに部内の語り草になっているそうです。

同志社大学がある京都は外国人観光客が多く、外国人に対し、英語で日本文化を論理的、具体的に説明する力も養なったそうです。

それらが結果として、英語によるディベート、ディスカッション、スピーチを大学生の時期にマスターすることにつながります。

さらに日本文化を外国人に説明するにはもっと深い勉強が必要と感じ、書や能や茶道を学び始めます。「その京都での大学生活の4年間が、現在の活動のベースになっている」、と言うことです。

それ以外にもイタリア語、フランス語、中国語、ロシア語など、6、7カ国語で歌を歌えるほど、現在では複数の語学にも造詣があります。

大学卒業後はダイワハウスに入社し上京します。そこで初年度からトップセールスマンとなります。

しかも仕事と並行して、古典、古書、古文献などの読書や研鑽を重ねたそうです。

それでも営業の受注件数は常にトップで、その奇想天外な度胸のある営業方法によって、次々と大手顧客を開拓していきました。

さらに業務の傍らに、銀座の道院紅卍字会に通い、根本宏氏のもとで研鑽を積まれていきます。

根本宏氏は、国士舘大学教授に招聘されますがそれを固辞し、大道の泰斗への道を歩み続けた道院紅卍字会随一の碩学だった方です。

そこで深見東州先生は、半年ほどで、根本宏氏より任天の導師になる人だと言われています。

予備校、商社の起業〜実業家としての成功

ダイワハウスは約1年ほどで退職し、26歳の頃には起業します。以来、あらゆる業界に精通する修行のため、多くの業界を経験します。

結果、現在では国内外に十数社の会社を持つ経営者になっています。

なかでも時計業界、予備校業界への参入時期は、不況の中であり、斜陽産業といわれていたにもかかわらず、それも修行のためにと言うことで、苦労した末に成功していきます。

また、予備校を始められたのは、「迷える子羊を救え」という天啓を受けたからと言われています。

並大抵の苦労ではなかったと思いますが、研究に研究を重ねる粘りと、度胸と根性で身につけた経営手腕によって、初期の一時期をのぞけば、それ以降は、すべての会社が黒字経営になっていきます。

菱研という会社では、その経営者としての実力を生かした中小企業コンサルタントをしています。

また、経営に関する著作も、銀行系シンクタンクから高い評価を受けたものもあり、経営、経済に精通しているのは間違いないと言えるでしょう。

その菱研ではビジネスセミナーも開催し、過去、キッシンジャー元米国国務長官やP.F.ドラッカー博士、アルビン・トフラー、サッチャー元首相、ゴルバチョフ書記長、ダニエルベル、レスター・ブラウン、ハンチントン教授、フランシス・フクヤマ、など、そうそうたるゲストも招き、互いに交流を深めました。それが1990年代のことです。

予備校経営においては少人数予備校業界の雄となり、その経験を生かした教育者として、高い見識とユニークな指導で実績を上げます。

その受験教育について、コラムが産経新聞で連載され、著作としても販売されています。

それはそうと、ワールドメイトの教祖として圧倒的な宗教的、神さまごとの実力をお持ちの深見東州先生が、ビジネスにおいても、ここまで実践し成功する必要があるのかと言う疑問も湧いてきます。

それは、宗教だけでは複雑な経済活動に生きる経営者の具体的な悩み、サラリーマンの仕事の悩みは解決できないということがあります。

経営者としてマネジメント力、営業力、財務、労務管理など、経営に必要な実力を身につけている方が、現代の、経済や仕事の悩みを持つ人々に対して、より具体的な指導や、救済が可能になるかと思います。

深見東州先生のワールドメイトにおける悩み相談が、宗教的な癒しだけで終わらず、具体的で現実的な改善につながるアドバイスになっていることでも、そのことが理解できます。

もっと大きな次元で言うならば、深見東州先生にとって、宗教家というのはその一面にしか過ぎません。

それ以上に芸術活動を行い、福祉活動や、スポーツ支援、人権問題の取り組みなど、様々な活動があります。

最終的に目標としているのは、「日本を中心とした世界平和の実現」と言われていました。

宗教だけでは世界を救えないし、世の中を変えることはできないと言われていますので、宗教という枠にとらわれず、実業家としての実力も、世界平和の実現に必要な要素になると私は信じています。

深見東州先生は、芸術活動や、スポーツの持つ力で、社会に多くの貢献をされてきました。

それを行うにも経済的な基盤が必要です。

また、経済の時代と言われる現代においては、経済に強く、実際に社会でビジネスに成功している人が、より広く人脈を築き、世界に影響力を発揮しています。

現代においてビジネスで成功することの意義は、経済的な基盤だけにとどまらず、もっと大きな意味があると感じています。

30代中頃からあらゆる分野にチャレンジ、万能性を発揮

著作活動は35歳頃から始まり、宗教関係以外にも、ビジネス、福祉、料理、ギャグ集、俳句集、短編小説、詩集、絵本、アニメ原作、博士号論文まで含めると、著作は280冊にのぼります。(平成27年末現在)

170万部を越える『強運』など、ベストセラーも数多く、どれもオリジナル性が非常に高くて、かつハイレベルな内容にもかかわらず、わかりやすいのも特徴だと思います。

舞台芸術に関しては40歳から声楽を始め、その後バレエ、オペラ、京劇などの、様々な舞台芸術へと広がっていきます。

特にオペラの舞台は、主役とプロデュースを兼ね、毎年公演を行い、非常に高い評価を受けてきました。

声楽のバリトンとして、日本では屈指の実力でしょう。

中国でも公演を行い、国立中国歌劇舞劇院一級声楽家にも認定されています。

日本伝統の舞台芸術である能楽は、学生の頃から始めます。

その後40代でさらに磨きをかけ、一流の能楽師として、宝生流家元らとともに国連本部前や、エジプトのスフィンクス、アンコールワット、他国内のあらゆる場所で、年に何度も共演してきました。

京劇は40代後半からですが、中国で開催されたアマチュアの国際京劇コンクールで、トップに当たる金龍賞を受賞しています。

また、北京市立北京京劇院二級京劇俳優にも認定されました。

音楽関係では、オペラ活動以外にも、J-POP、アメリカンポップス、ラテン、シャンソン、アニメ、演歌、童謡まで幅広く歌える歌手として、35歳から今日(平成27年末)までの間に、多くのCD(111枚)、DVD (35本)が発売されました。

作詞家、作曲家としての才能も素晴らしく、これまでに約400曲以上は作曲しています。

器楽曲から、管弦楽曲、ピアノ曲、演歌、また、シンガーソングライターとして幾多の名曲を作曲されてきました。

どれも粒ぞろいの作品なのに、私は驚いています。

また、歌手やオーケストラの指揮者として、40代からカーネギーホール、ロイヤルアルバートホール、日本武道館など、国内外で多くの公演を行われてきました。

多くはチャリティコンサートでもあります。

また楽器も、ピアノやバイオリン、和太鼓、能管などを演奏されます。

書においては高校生から始めますが、35歳からは本格的に学ばれ、大英図書館に現代書家の名品として作品の一つが収蔵されるほどになります。

また、2014年には大英博物館から招聘され、書のパフォーマンスを行い、好評を博しました。

これまでに書画集、絵画集が10冊ほど刊行されています。

その絵画も、35歳から学び始めて、日本画、水墨画、油絵、水彩、アクリルなど多彩であり、一流の優れた美術書を刊行する「美術書の求龍堂」の当時の編集部長から、巨匠の3つの特徴をそなえていると高く評価されます。

中国では、国立中国芸術研究員より外国人初の一級美術師の認定を受けています。

他にも、華道、茶道の師範の免状を持ちます。

ファッションデザイナーとしては、2001年に初のファッションショーを開催しデビューします。

その時期に社団法人日本デザイン文化協会主催の「NDKファッションデザインコンテスト」で、かぐや姫をモチーフにした作品が、5千点中2位に選ばれ、もう一つの七夕をモチーフにした作品も入選しました。

劇団、ラジオのパーソナリティ、ギャグの世界でも異色の世界を展開

ラジオのパーソナリティ歴は長く、40歳ごろから始まり、最長の番組は22年間続きました。

本来ラジオは放送コードが厳しく、宗教家は特定宗派の布教につながると言うことでレギュラー出演ができないと言われています。

深見東州先生の場合は多彩な文化人として、放送業界で扱われているのか、異例だっと言えるでしょう。

以前に、全く無実のセクハラ、脱税、霊感商法疑惑がマスコミで報道されたときでも、ラジオ局の信頼が厚いのか番組は続きました。

出鱈目な報道であるということが、ラジオ局の人にはわかっていたのでしょう。

最近では「レオナルドTOSYUの遊びがナイト」という番組が3年ほど続いた後、「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」が2015年10月から2018年まで3年間放送されました。

それから忘れてならないのは、ギャク作品集とパフォーマンスです。

駄洒落やジョークもユニークですが、芸人でも、あのギャグの連発を真似できる人はなかなかいない気がします。

講演会を過去一万回以上されていますが、ためになる内容であると同時に、毎回笑いが絶えないと評判です。

ユーモアがあり、魅力的で人を引きつける話法の達人と言えるでしょう。

そのギャグをふんだんに取り入れた、「明るすぎる劇団・東州」という劇団を、2006年に立ち上げました。

言葉遊びを効果的に挿入した楽しい作品が多いです。

短編小説を書かれていて、脚本家としても、また演出家としての細かな演劇指導も素晴らしいと思います。

独学だと思いますが、観察力と研究力は半端ではありません。

この劇団をかわぎりに、将来は映画、ミュージカル、アニメ制作などへ広がっていくのが期待されます。

福祉活動家として

福祉活動家としては、ワールドメイトを始め、いくつかの公益性がある法人を通じて、カンボジアへの支援、中国奥地への支援、アルバニアへの支援など、海外の最貧地域と言われるところで、多様な福祉活動を20年以上前から継続されています。

さらに東南アジアを中心に、支援の輪は年々広がっています。

主なもので、カンボジアの24時間無料救急病院の設立と支援、ワールドメイト未来の光孤児院の支援、クメールルージュ犠牲者の救済、アジアなどで130校を超える小学校の建設、貧しい子供たちへの教育援助、その他にも数多くの支援活動があります。

細かく紹介すると、膨大になるので簡単な紹介にとどめますが、その対称となる人々の将来と現在を細やかに考えた上での支援なので無駄がありません。

本当に必要な人に必要なケアをされています。また、その国の将来にとっても良い影響を及ぼすものが多いためか、その国の政府から高い評価を得ているのも頷けます。

また、盲人福祉として、30年間ブラインドゴルフの支援と発展に寄与されてきました。

ブラインドゴルフを日本に紹介し、日本ブラインドゴルフ振興協会を設立し、ブラインドゴルフの普及に貢献されてきました。

多くのブラインドゴルファーが誕生し、盲人の方たちが生き甲斐を見つける様子は、当事者の方たちはもちろん、それを知った健常者や世界中のプロゴルファーの人たちにも、大きな感動と影響を与えています。

また、世界各国のブラインドゴルフ協会と連携し、世界ブラインドゴルフ協会設立を提案して創設し、その総裁にも選ばれました。

現在に至るまで、ブラインドゴルフの推進を世界でとり組んでいます。

このような世界レベルでの障害者スポーツ組織は過去に例がなく、非常に画期的なことだといわれていました。

現在では盲人ゴルフを含む、障害者ゴルフへと支援が広がっています。

ゴルフ、スポーツの振興

2006年からはシニアゴルフの支援にとり組まれます。

ゴルフの支援については、これから先の高齢化社会を迎える日本人にとって、健康増進や成人病の予防、ストレスの解消など、将来的に様々な恩恵をもたらす結果につながるものと期待しています。

2000年代の前半、日本のシニアゴルフは、特に女子にはスポンサーがつかず、厳しい状況におかれていました。

そこを救われたのが深見東州先生でした。その参入に影響を受けて、いくつかのスポンサーとなる企業が続きました。

現在は男子シニアを支援されていますが、試合数は男女ともに大きく増えました。

生涯にわたってゴルフができる環境が整うことは、プロを目指す人が増えることにもつながり、優秀な選手も出てくると思います。

ゴルフ人口も増え、庶民レベルにまで普及すれば、贅沢なスポーツというイメージから脱却し、手軽に楽しめる状況に変わっていく可能性も考えられます。

ただゴルフ人口が増え、ゴルフがさらに普及するためには、シニアゴルフ界の活性化と平行して、多くのインストラクターの養成が欠かせないでしょう。

その分野でも、同時並行で力を入れてとり組まれています。

欧米と日本のシニアゴルフの連携や、シニアプロとブラインドゴルフの連携にもとり組んでいます。

米国女子シニア選手からの希望で、深見東州先生に対して、ゴルフの殿堂入りスタープレーヤーが多数所属する米国女子シニアゴルフ協会会長への就任要請があり、就任されます。

本場アメリカの女子シニアゴルフ界においても、活性化のために様々な形で貢献されてきました。

盲人福祉関係では、英国王立盲人協会という、英国一といわれる福祉団体の副総裁にも就任されます。

この福祉団体の実質オーナーはエリザベス女王で、総裁はその親戚筋の名門貴族です。副総裁はイギリス国教会の大司祭でした。

そのような歴史と格式のある団体に、日本人である深見東州先生が就任されたということは驚くべきことだと思います。

学術関係、公益活動

学術関係ではカンボジア大学総長、中国の一流大学の客員教授など、学術資格も多数あります。

また、中国No1とNo3の大学院で論文を書き、口頭試問にもパスして、現在までに二つの博士号(Ph.D.)を取得しています。

また、財団法人協和協会の理事長を務めています。このシンクタンクは、岸信介元総理大臣によって設立された総務省所管の公益法人です。

政界、財界、官界、各界の有識者などが、党派や思想を超えて国家的・国民的課題を検討し、政府へ有意義な提言を続けています。

その名門財団の理事長に選ばれています。

アジアでは、ダボス会議のアジア版のような、アジアエコノミックフォーラムを立ち上げ、会議を開き、チェアマンを勤めていました。

世界宗教対話開発協会の理事にも就任します。こちらは宗教から世界平和の道を探って世界の宗教間の対話を進めている団体です。

また、そのアジア版と言えるアジア宗教対話開発協会を立ち上げ、宗際化活動を続けています。

アメリカではインターナショナル・シントウ・ファウンデーションを立ち上げ、日本の神道と文化を世界に発信しています。

この団体は、国連と経済社会理事会との協議資格を取得している国際的組織であり、深見先生はその代表を勤めています。

日本の神道がその精神性や自然性で、世界平和に貢献するために、国連認可NGOとして様々な提言をされてきました。

カンボジアでは、フンセン首相の要請を受けて、カンボジア首相顧問に就任しました。

外国人が一国の首相の顧問になるというのは、カンボジアでも初めてのことでした。

現在は、カンボジア政府顧問(首相と副首相に次ぐ上級大臣)に就任されています。

また、カンボジア王国福岡名誉領事にも任命されています。日本の外務省も承認済みです。

ほかにも多数の公職、要職があり、受賞歴、資格なども多数あります。

駆け足で紹介しましたが、まだ、深見東州先生の活動の3分の1程度も紹介できていないので、あとは活動分野別に詳しく書いていきたいと思います。

万能性を発揮する

深見東州氏の分野別詳細プロフィール

慈善団体やワールドメイトを通じて

福祉活動・社会活動

1980年代終わり頃から福祉活動に取り組み、それ以後、年を追うごとにアジアを中心に福祉活動を展開してきました。

複数のNPO法人、社団法人を設立し、世界レベルでの社会福祉やチャリティ活動、文化芸術、学術関係などにおいて、公益性の高い社会活動を行っています。

以下の記事に主な活動をまとめています。

作曲家、指揮者、歌手、演奏

音楽家

音楽活動の中で、最も多いのは歌手としての活動でしょう。コンサートも数多く開催し、また出演してきました。

楽器演奏ではバイオリンやピアノ、和太鼓、能管の腕前を披露されることがあります。

指揮者として、何度も大舞台を務めました。

忘れてならないのは、作詞作曲家としての才能です。コンポーザーとして、数々の名曲を作曲し続けています。

音楽活動をわかる範囲で以下の記事に書きました。

国内外に十数社を経営する

実業家

優れたビジネスマンとしての一面を語らずには、深見東州氏を理解することはできないと思っています。

今やフィランスロピストとして、世界的に知られる存在ですが、企業経営者として、経済活動の背景にあるものを知ることが、深見東州氏の理解には欠かせません。

以下の記事に、事業内容を含めて、分かる範囲で書きました。

スポーツによる社会への貢献

スポーツ振興

スポーツは希望を生み出し、人々を動かし社会を変革する力がある。また、人々を団結させ地域社会に一体感をもたらすことができる。

また世界平和の追求においても、非常に強力なツールになる。

そのような信念のもと、スポーツの力を信じて、スポーツの振興に取り組んでいます。

目的を同じくする国際機関や、組織、人物とも協力をしています。

以下にその経緯と活動についてまとめました。

オペラ・能・バレエ・京劇・劇団

舞台俳優

舞台俳優として、マルチな才能を発揮している深見東州氏は、オペラ歌手、能楽師、京劇俳優、バレエダンサーとして多くの舞台に出演すると同時に、演出を含め総合的な舞台作りにも関与しています。

また劇団を主催し、劇作家として脚本作成、演出も行い、自らもパントマイマーとして出演しています。

画家・書家・文芸家・デザイナー・ギャグ

芸術家・クリエイター

美術評論家から高い評価を受けるマルチな画家であり、優れた書家です。

また小説や詩、俳句など文芸作品を発表してきました。

あらゆる分野の著述家としての著作は数百冊を超えています。

また服飾や時計宝飾デザイナーとしても活動中。

ギャグクリエイターとして、漫談家としても活躍中です。

また、ラジオ番組のパーソナリティーは30年以上の経歴があります。

メディアによる

深見東州氏への取材・インタビュー

Q
ワールドメイトについて
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信仰がないよりはある方がベター?

「新日本宗教団体連合会」(新宗連)というのがあって、アンチ創価学会でつくった立正佼成会が中心となった新興宗教の集まりがあります。

現在60団体ぐらいが加盟している。その新宗連には4つの柱があります。

一つは政教分離。これは創価学会へのアンチテーゼで、宗教と政治を分離すると憲法にありますから。

それから信教の自由。あとは宗教協力。宗教団体が協力して世界平和を実現しなければならない。

もちろんWCRP(世界宗教者平和会議)もそうなんです。WCRPは、現在「Religions for Peace」に名称変更してますが。

最後は、「国民皆信仰」という考え方です。

その国民皆信仰という概念が、新宗連の4番目の柱ですが、我々も国民皆信仰に賛同しています。

どんな考え方かというと、一つの宗教団体がすべての人を賄うことはできないということなんです。

日本人といってもたくさんいますから、一つの宗教団体が、すべての日本国民を変えることはできないと考えるのです。

ならば、どこかの宗教団体に入って、それが嫌ならどこか別の宗教団体に移ればいい。

要は自分に合うところに行けばいい。無神論で信仰を持たないよりは、どこか信仰を持っていた方が、信仰がないよりはベターだという考え方、これが国民皆信仰です。

信仰がまったくない人間よりも信仰がある人間の方が、孤独とか不安に強くなり、安心立命が得られる。

つまり、最終的に自分の力で自分を救っていく力があるわけです。それが、宗教の持つ社会的役割でしょう。

ワールドメイトもそうなんです。だから、はっきりと宗教団体としてのカラーを打ち出して、それでいいなという人が来てくれたらいいわけです。

どの道、カラーに合わない人は辞めますから。入退会は自由、強制もしない。

もちろん、暗くて閉鎖的でまじめな宗教がいいという人は、そういうところへいけばいい。

日本だけでもたくさん宗教団体があるので、創価学会へ行ってもいいし、立正佼成会に行ってもいい。ワールドメイトだけで全てのニーズは賄いきれませんから。

だから、ワールドメイトに合う人だけ来ればいいし、嫌なら辞めたらいいんです。

この考え方は運営している予備校「みすず学苑」も同じ精神です。

はっきり言うと、合う人だけ来たらいい。予備校は予備校らしくあらねばならないという人は、そういう予備校に行けばいいわけなんです。

(【独占インタビュー】謎多き宗教家、深見東州とは何者か『iRONNA編集部』)

Q
ビジネスについて
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普通の会社は、収益極大化が最大の目的です。あなたのビジネスの最大の目的は何ですか。

私の最大の目的は、現代における民衆の教化であり、金儲けや活動資金の獲得ではない。

私は、天啓によって予備校に参入し、時計の会社を始めた。出版は、布教のために必要だからやることにした。

今は「経済の時代」だ。経済戦線に入り込み、それに勝ち抜くことで、人々の苦しみを共有し、それを乗り越える教えを説くことができる。

サラリーマンとしての生き方や、社会のことがわかって、初めて民衆を救い、教化することができる。

高野山とか比叡山にこもって修行しても、何の意味があり、そこから、いかに今を生きる民衆を救い、教化することができるのだろうか。

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では、奇抜な広告のワケは

私のポリシーは、「ドリアン・くさや・納豆・フナずし方式」です。

どのみち、日本では宗教なんて、うさんくさいものと思われている。

ドリアンやくさやは臭い。でも一度、食べてみたらおいしいと思う人もいる。

好きになる人もいる。私は、日本中のすべての人によく思われようという気持ちを捨てたのです。

「私は、うさんくさいよー!」と、明るくアピールしている。

それでも、無視されるよりはいいでしょう。10人のうち9人に嫌われても、1人がファンになってくれたら大スターです。

日本人の1%でも、120万人だ。それでいい。あまりきれいな人間でいたら、思い切ったことができない。

うさんくさいと思われるほうが、前人未到の行動ができる、好きなことができるんです。

とはいえ、私も昔からこれほど目立っていたわけではなく、著作でも顔を隠していたほどだった。

新聞広告などへの出稿を積極的に始めたのは、7年前の60歳のときからだった。

創価学会や幸福の科学の名前は広く世に知られているが、ワールドメイトの知名度は低いから、信者の親が入信に反対している、という声を聞いたのがきっかけだ。

へえ、そういうこともあるのか、世間的な認知度がないと信者が親に反対されるのだなあ、と。

その出来事をキッカケに、私は次のような天啓を得た。それならば、新聞広告でよく見掛ける存在になろう、得体の知れない、明るい広告で知名度を引き上げればいい! 

新聞広告にはすべて考査が入るので、宗教法人やワールドメイトの名は、すべてNGになる。だから、個人をアピールするしかない。

それでも、厳しい考査があるので、その意味でも、信頼性は担保できるわけだ。

この戦略のおかげで、もう反対する親や家族はいなくなったようです。

本来は、明るく平和で、楽しい宗教なのに、知名度がないために、偏見や誤解が激しかったものが、緩和されたのだ。

今の私を、単なる目立ちたがり屋と揶揄する人もいるが、これほどバカな指摘はない。

広告とは、そもそも目立つためにやっているのだから、当然でしょ。

すべては「マーケティング理論」なのだから。単なる目立ちたがり屋なら、20代、30代、40代、50代で、とっくに今のようにやっていますよ。

(週刊東洋経済プラス、深見東州「奇抜な広告の狙いは戦略的なマーケティング」)

Q
イベントについて
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コンサートなどのイベントに力を入れている理由は。

ワールドメイトでは、「宗教的宗教活動」と「普遍的宗教活動」に分けて活動しています。

宗教的宗教活動は宗教法人としての宗教活動。

普遍的宗教活動とは人類愛に基づく活動や社会貢献の活動、いわゆる布施行としてのスポーツ、芸術、福祉、国際協力などです。

神様は真・善・美の三つの面を持っています。

真とは科学や経営などの合理的なもの。

善とは宗教、福祉、スポーツ、教育など。

そして美とは芸術です。つまり、宗教は真・善・美という神の一部分にすぎない。

ワールドメイトの目指す究極は、真・善・美によって日本を中心とした世界平和を実現することです。

それ故、宗教以外の普遍的宗教活動も積極的に行っています。

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芸術や福祉などはもうかるものではないでしょう。

大赤字です。しかし、宗教活動などで寄付されたお金は浄財です。

弱者救済や社会還元として使うので赤字でなければいけない。

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世界のVIPをイベントに呼ぶ資金は、ワールドメイト会員の寄付で賄っているのですか。

会員の寄付が一番多いですが、私が経営する国内6社や(その一社である経営コンサルティング会社の)菱研の会員企業からの寄付もあります。

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今年3月にオバマ前米大統領を呼んでイベントを行いましたね。

知人から「オバマ前大統領がアジアのツアーを予定しているので日本にも呼ばないか」と言われたんです。

日本だけに呼ぶよりも安いというので。といっても数千万円では呼べないですよ。

5億円まではいきませんでしたけどね。しかし、金額だけで呼べるわけではありません。

親しい人の紹介があり、さらにご本人がピンときたから、日本に来てくれたのでしょう。

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そうした普遍的宗教活動に使う金額はどれぐらいですか。

ワールドメイトの年間収入は大体100億~120億円で、運営費などを除く大半はそうした普遍的宗教活動に使っています。

加えて、グループの収益事業からも約20年間で300億円ぐらい支出していると思います。

(週刊ダイアモンド 深見東州、風変わりな広告の教祖が激白「うさんくさく見られていい」より)

Q
慈善活動について
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マスコミはワールドメイトが多大な社会貢献をしている事実をまったく報じようとしません。カンボジアでの慈善活動がその最たるものです。

ワールドメイトは24時間無料救急病院や孤児院の他に、現地に政治・経済・文化系の総合大学「カンボジア大学を設立し、3000人近い学生が学んでいます。

今やカンボジアではパンヤサ大学、プノンペン大学と同じトップ3の大きな大学となりました。

そのカンボジア大学ですが、大学とは言っても当初は小さなビジネスホテルを買い取って校舎に使用していたにすぎません。

ライバルの私立パンサヤ大学は立派な校舎ですから、カンボジア大学の学長が「教育体制はうちの大学の方が上なのに、小さな校舎だから本当に悔しい」といって泣くんですよ。

だから私は、「よし、わかった」と言って、即断即決で大きな土地を買い増しし、長い年月をかけて建設費を投入して、一昨年11月に、ようやく地上11階建ての高層ビル校舎を完成させました。

パンサヤ大学よりも高くて大きな校舎ですよ。

それと同時に2008年にフンセン首相と私の本名・半田晴久にちなんで「フンセン・ハンダ・スカラシップ」という奨学金制度を創設し、貧しい地域の優秀な学生に対する、4年間の学費の全額負担を開始しました。

これだけで4億の援助となります。

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世界各国に支援の手を差し伸べているようですが、なぜ、とりわけカンボジアに対して多額の援助をしようと決断したのですか?

カンボジアでは約20年の内戦の間に、国民の約半数がポルポト派によって虐殺されました。

そして、その当時、カンボジアはアジアの最貧国だったからです。

同じ時に、ヨーロッパではアルバニアを集中的に支援しました。

アルバニアは、その当時ヨーロッパの最貧国だったからです。

また同じ時、中国の山間部の最貧層の支援もしました。

つまり、その当時の、アジアとヨーロッパの最貧国と、世界的な最貧地域を支援したのです。

なぜ、アフリカやインドでなかったかというと、その3カ所は、過去に文明や文化や王朝を築き、末端の庶民に至るまで、国家や文明、文化を再興させる、ポテンシャルがあると思ったからです。

それと良き人との縁があったことが理由です。 

(財界にいがた、20191月号、歌って踊るギャグ教祖・ワールドメイトリーダー深見東州の実像より)

Q
究極的な目標について
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深見東州氏の最終的な目標は?

国内外を問わず、様々な宗教団体は「自分の宗教が一番素晴らしい」と考えているわけですが、コミュニケーション手段や交通、文明の発展などに伴い、「よくよく相手の話を聞いてみたら、どの宗教もだいたい同じようなことを言っている」ことが分かってきました。

それぞれの宗教に若干の違いがあったとしても、やはり愛や悟りは尊いし、殺戮は良くないし、核兵器は廃絶すべきだし、貧困を救い、弱者を救うことは大切。

また、争いをなくすためには、理解と忍耐と互いの尊敬が必要だと、だいたい同じようなことを言っているわけです。

そこで、世界各国の宗教団体が参加するWPRC(世界宗教者平和会議)が組織されました。

立正佼成会の庭野日敬さんと金光教の三宅歳雄さんが協力してWPRCを作ったのです。

WPRCの設立により、それぞれの宗教の違いを尊重しながら共通項を理解し合い、ひいては核兵器を廃絶し、差別をなくしていこう、人々を貧困から救っていこうという平和活動が始まりました。

これを宗教の枠を超えた「宗際化運動」と呼びます。

さらに今から50年ほど前に国連に同様の趣旨のTOU(理解の殿堂)ができたほか、ユニタリアン自由教会がIRF(国際宗教財団)を、また大本教は「万教同根」思想の人類愛善会、比叡山は宗教サミットなどを行いました。

そして立正佼成会の庭野さんとPL教団の御木徳近さんが協力して新宗連(新日本宗教団体連合会)をつくり、宗際化運動はますます盛んになりました。

この新宗連には4つのスローガンがありまして、私たちワールドメイトもこの考え方には大賛成です。

〜中略〜

そして、私の究極的な目標は、宗際化運動を通じて、日本を中心とした世界平和を実現することに尽きます。

(財界にいがた、20191月号、歌って踊るギャグ教祖・ワールドメイトリーダー深見東州の実像より)

Q
政治家への献金について
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政治家に献金するのはなぜですか?

パレスチナ問題にしても、あらゆる揉め事は政治決着するしかない。

そのために有用な政治家に頑張ってもらわないといけません。

しかしそれは超党派でなければならない。だから選挙運動は一切しません。

落選議員の辛さは父親を見てわかっているので、菱研で顧問料を払って面倒を見ることもします。

皆さんが思っているほど政治家には力はありませんけど、人脈づくりには役立ちますね(笑)。

神道なので、基本的には右寄りですが、今は野党が弱すぎて与野党のバランスが悪い。

私が最終的に目標としているのは、日本を中心とした世界平和の実現です。それ以外のことには興味ありません。

AERA dot.「電車広告で見かける「深見東州」は何者? 知られざる生い立ち」より)

宗教法人

ワールドメイト

ここからは、深見東州氏(通常は深見先生とお呼びしてますが)を教祖とするワールドメイトについて、説明したいと思います。

次の記事は、僕がエッセイ風に書いたワールドメイトの紹介記事です。

実際にワールドメイトに入会して驚いたことや、変わった体験なども含めて、できるだけワールドメイトのことを理解できるようにと思い書きました。

本来は入会して体験しないとわからないことばかりなのですが、それを言ってしまうと身もふたもありませんので、ワールドメイトに少しでも興味を持った人のために全力で書きました。

少々長い記事ばかりですが、よろしければ時間がある時にでも、じっくりと読んでいただきたいです。

このあとの敬称は深見先生(深見東州先生)で統一しています。 (趣味まる出しの画像については気になさらないでください

ワールドメイトを一言で言うと

新時代の天啓宗教なのです

深見東州

先人が後を託す

出口王仁三郎2世と呼ばれ

深見東州

博覧強記の天才どころではない

深見東州先生の勉強方法

深見東州

宗門宗派に拘泥しないワールドメイト

神道と禅とのつながり

スティーブ・ジョブズが禅に傾倒していたのは有名な話ですが、難解と言われる禅は日本文化と密接に結びついてきました。

その禅を知ることが、なぜ神道であるワールドメイトとつながるのでしょう?

とても大事なポイントなので、詳しくそこに迫ります。

「我輩は救霊師である」

ワールドメイトの救霊とは

ワールドメイトに入会して、深見東州先生の大救霊を受けた後、人生が素晴らしい方向へと変わっていった人はとても多いと思います。

また、ワールドメイトに入会し、救霊を受けて人生が変わったと、ワールドメイト会員はよく言います。

かくいう私もその一人です。ワールドメイトの救霊は、巷で言うところの除霊とは違います。

詳しくは以下の記事で。

深見東州先生直伝

願いが叶う祈り方教室

深見東州先生が、「この『必ず通じる祈り』の法則がわかるまでに、二十年かかりました。

ここでお話しする内容は、私が試行錯誤してようやく悟得した絶対に神仏に通じる祈りの方法です。

法則、ポイント、コツ―― 何事もマスターするのはそれが大切で、これがわかればいっぺんに上達するのですが、知らなければ永遠にわからないままなのです。」と言われる祈り方について書きました。

深見東州先生の幼少期から

ワールドメイトが誕生するまで

さて、最後はワールドメイトが誕生するまでの歴史について、著作やメディアでの掲載、直接ワールドメイトで聞いた話を元に書きました。

深見東州先生の幼少時代

深見先生のお父様は、特攻隊上がりの正義感の強い方で、戦争中、一週間後に出撃という時に終戦を迎えたそうです。

復員後に深見先生のお母様となる方と結婚され、上官よりかねてから学歴が大事だと聞かされていたこともあり、勉強を始められます。

そして関西学院大学の経済学部に首席合格され、2番で卒業するほどの優秀な頭脳を持っていらっしゃいました。

ところが、在学中に左翼思想に傾倒し、学生運動に明け暮れます。

無罪にはなりましたけど、一度未決の牢屋にも入られています。

今では、笑いながらお話しされますが、その頃母親のお腹の中にいたのが深見先生だったそうです。

ですので、格子戸を見ると、どうも腹が立つんですよねとか、胎教が悪かったんですねと、よく冗談を言われます。

それでお父様が大学3年の時に深見先生は誕生されます。1951年3月18日のことです。

当時、お父様は学生自治会長などもされていたそうですが、子持ちで左翼であることが災いしたのか、卒業後、企業への就職がままならなかったそうです。

お父様は政治家の秘書になられますが、左から右まで経験して両方に絶望し、その後政治家を目指して立候補したものの次点で落選されます。

それは深見先生が高校2年の時のことです。

深見先生が小学校の頃の話に戻りますが、お父様は元来気性が激しい方で、お母様もひどい目にあい、苦労され、家庭内は争いが絶えなかったそうです。

頭が良く、ケンカに強く、超ワンマンで商家の悪習である飲む打つ買うの人だったそうです。

そのためまともに家で食事もしたことなく、お父様から逃げ回る日々で、一家団欒などは、ほとんど経験したことがなかったそうです。

深見東州先生は、普通の家庭が羨ましかったと本にも書かれています。

そして、いつも「母を助けてください」と真剣に神様に祈っていたそうです。

妹や弟のためにも祈っていたそうです。深見東州先生の祈りの習慣はそこから始まったとのことです。

ただ、深見先生のお母様は信心深い方で、そういう環境だっためか、世界救世教に通うことになります。

しかしお父様は、「宗教は阿片だ」と言い、全く許してくれない状況だったそうです。

そして小学校5年の頃、お母様が深見先生のために、お守りをもらってくれることになったそうです。

深見先生はそれが無性に嬉しくて嬉しくてしょうがなかったそうです。

すでに天命を無意識のうちに自覚されていたのでしょう。

ところがお父様が、お母様が身につけているお守りを引きちぎってしまわれたので、その深見先生のお守りの話しも中止にしたそうです。

それが悲しくて3日間も泣いた記憶があると、著作に書かれていました。

深見東州先生の中高時代

深見東州先生の中学1年の頃のエピソードですが、当時の日記に「昔の偉人たちは皆人類のためになる遺産を残して死んでいった。この世には、その遺産がどんどん増えていくのだから、未来はきっと理想の素晴らしい世の中になるに違いない」という意味のことを書き、学校の先生から感心されたというものがあります。

何も偉人だけではなく、普通の人でも、これだけは残したいと思って取り組んでいる人は多いです。

だったら、そういう良いものがどんどん積み上がっていけば、良いものが集まった世の中になっていくはずです。

それで単純に、いつか必ず人類の理想の世の中がやってくると思ったそうです。

中学生でそこまで思うのは珍しいかもしれませんね。

余談ですが、私も小さい頃、漠然としたすばらしい世の中になっている夢や想いを描いていたことを思い出しますが、言葉や文章でそれを人に伝えるなんてことは考えたこともありませんでした。

少年少女の時期に、そういう理想の世界を夢みていたという人は、ワールドメイト会員にも多くいますけど、やはりほかの人には言わなかったようです。

深見先生は高校入試の前までは、家庭内の不和もあったせいか、あまり家に寄り付かず外での遊びに夢中になっていたそうです。

このころの深見先生の楽しい遊びのエピソードは、ワールドメイトでのお話にもよく出てきます。

そして中学の先生に、「君が合格するなら、全員が合格する」などと言われてしまったそうです。

学業は最下位に近い成績だったそうですが、その言葉を聞いた深見先生は、「皆が合格するためには、自分が合格しなくてはならない」と、考えたそうです。

非常に前向きな捉え方ですが、考えるだけでなく、それを実行するために勉強し、成績が上位に上がったそうです。

結果、県立鳴尾高校に入学することになります。

そして高校に入学した直後、深見東州先生15歳の4月8日、世界救世教に入信します。

ちょうどお釈迦様の降誕日ですが、その日が宗教活動の始まりと言えます。

入信のきっかけは、家庭もよくなるし、健康もよくなるよと、世界救世教の支部長さんに言われたからだそうです。

小さい頃から神様のことが大好きで、神様なしでは生きてはいけないと思っていたそうですす。

悩みも一人で神様に向かって祈っていたくらいですから、すでに信仰力の土台ができていたのでしょう。

そうして深見東州先生は、自分には神様の道しかないと自覚し、神の道を貫き、世の中を良くして理想社会を実現したいとの決心を固めていきます。

ワールドメイトへとつながる信仰の道

そして、世界救世教のお守りである「お光」を授かったそうですが、翌日に胸に激痛を感じ教会に駆け込んだそうです。

すると、その胸のお守りを外した部分の皮膚が、ちょうど火傷のように赤く腫れ上がっていたそうです。

これも当時の宗教体験の一つと言えるのでしょう。

さらにそのころの教団には、他の宗教でも多いと思いますが、人の嫌がることが最も功徳が高いという教えがありました。

ですので毎朝登校前に、必ず支部に寄って便所掃除の奉仕を行います。

そうしたある日、妹さんが手にイボができて悩んていたそうです。「イボイボ移れ」と深見先生が言うと、本当に妹の手からイボが消滅し、代わりに深見先生の手にイボができたそうです。

とても痛かったそうですが、3か月くらいすると突然消えてしまい、これは奉仕活動をやっていた功徳だと感じ、感謝したとのことでした。

深見先生は、高校では生徒会の活動が忙しく、支部では学生部を結成して熱心に活動します。

そして、これもワールドメイトで何度も聞くお話ですが、年4回の熱海の聖地参拝をやり遂げます。高校2年の頃のことです。

ちょうどその頃は、お父様が選挙に落選した直後であり、ずっと家にいるという状況の中で、家計が火の車だったそうです。

そして神様なんて非科学的なことは言うなと、お父様の厳しい視線がある中での決行でした。

深見先生は、聖地参拝は神様に対する義務だという純粋な気持ちを持ち、絶対に行かなければいけないと思っていたそうです。

余談ですが、その当時、深見先生が小さい頃からずっと使わずに貯めていたお年玉を、お母様に黙って使われてしまったそうで、とってもショックでしたと、笑いながら言われていました。

2016年のワールドメイト正月神業で初めて聞いたとき、私も同じ経験があるだけに気持ちがよくわかりました。

それで聖地参拝の話に戻りますが、奉仕活動を続けていけば、なんとか行けるようになると信じていたそうです。

そして1回目の聖地参拝は、お母様がお金を工面してくれたそうです。

あとは、恐いお父様に見つかると大変なことになるので、それをどうするかでした。

とにかくひたすら、現地への移動の間祈り続けたそうです。

絶体絶命の中から絞り出すような、「神様がいるのなら絶対に見つからないようにしてください」と、魂の底からの祈りだったのでしょう。

ギリギリまで見つからないための工夫もした上で、この、絶叫するような祈りでした。

それが神に通じたのか、家族の機転を利かした連係プレーなどもあり、あわやバレそうになったときに、非常に直感の鋭いお父様が、弟さんを深見先生と勘違いして家にいると思い込んでしまったのでした。

その結果、1回目は大成功でした。ところが2回目の聖地参拝のときは、お金が捻出できずに行くことができない状況でした。

しかし、ますます熱心に奉仕活動をされた深見先生に、出発の3日前に奇跡が起きます。

当時の女性支部長さんが、深見先生が毎日熱心に祈りをする様を見ていて、「私には子供がいないから、あなたを自分の子供だと思って、行かせてあげます」と、旅費を下さったそうです。

深見先生の大感動は言うまでもありません。

そうやって、とうとう年4回の聖地参拝も、高校2年生でクリアすることができたのでした。

これによって信仰力に自信を持つことができたそうです。

この体験談は摩訶不思議な物語ではないため、他人から見るとそんなものだろうなと、あっさり感じる人もいると思います。

しかし当人たちにとっては、奇跡としか思えない証の連続で達成できたものだと言えます。

ワールドメイト会員も、似たような経験を積み、奇跡としか思えない体験を多くの人が持っています。

他人からすると小さなことかもしれませんが、困難な中で必死で祈り、神様が動かれたという実感は、本人にはわかるものなのです。

浪人生活を経て、大学へ入学

スポーツニッポンに連載された、自らの半生を語った「アカスリ半田劇場」にも、鳴尾高校時代に、生徒会に入って活動していたことが書かれていました。

同時に書道部にも入り、のめり込んでいたことの記述もあります。

入部のきっかけは、一通のラブレターを女子生徒からもらったことから始まります。

とても素敵な人だったそうですが、ラブレターへの返信を便箋8枚に綴りますが、相手からの返事がなかったそうで、フラれてしまいました。

もっとスマートに、お茶にでも誘へばよかったと、当時をふりかえって言われていました。

その時に文章力の無さと字の汚さを感じ、日記を書くようになり、綺麗な字をかけるようにと書道を始めます。

しかし字は上達したものの、大学試験には失敗し、浪人生活が始まります。

この時期には、いろいろなことがあったそうですが、まず、深見東州先生の熱心な活動を知った世界救世教の教会長(支部長の上に立つ人)が、深見先生を教会直属にするよう支部長に命じたそうです。

これまでお世話になった女性の支部長さんは、神様への純粋な信仰に全てを捧げている、神様が全てという方だったそうです。

それに対し、その教会長は男性で、広く社会性を持った考え方をする方だったそうです。

深見東州先生に対し、「神様、神様というのもいいけれど、日常の生活が基本ですよ。あなたには、お父さんとの葛藤があるようだけど、まず家庭をよくしなければいけません」と言われたそうです。

先は長いのだから学生のうちは勉強をしっかりして、親あっての自分なのだから、親孝行しなさいと諭されたそうです。

この教会長の言葉に、ガツンと頭を殴られたような気持ちになったそうです。

家族のために神業をやっているつもりだったのに、結果的にそれがお父様の神経を逆撫でしてしまい、新たな対立の火種になってしまっていること。

反発ばかりして、親孝行などは何もしていないこと。ミロクの世という、理想の世界を作るんだという夢に生きてきたけども、一番身近な家庭での争いと葛藤の原因を作っているのが自分であると気がついたそうです。

人類全体の幸せといっても、その一歩は自分の家庭からだと気がつき、それ以降、お父様から何を言われても逆らわずに、素直にいうことを聞き、頭を下げるようになったそうです。

それでお父様も、息子の態度がガラッと変わったので、さすがにおかしいと思い、その理由を聞いたそうです。

それで深見東州先生は、その教会長のお話を聞いて心を入れ替えたことをお父様に話します。

すると驚いたことに、こんな素直な良い息子になってくれたのは初めてだと、お父様は大感激し、「お前がそんなにいい子になるようなところなら、わしも信心させてもらわなきゃいかん。そして教会の先生にもお礼を言わんとな」と言って、驚いたことに翌日入信されたのでした。

そうやってお父様も入信し、熱心に活動をされていたそうです。

しかし、その教団で大きな裁判ごとが起きたとき、義侠心の強いお父さまが渦中に入り、良かれと思ってしたことですが、逆に悪人にされてしまったそうです。

それで嫌な形で辞めることになります。

深見先生の信仰心は何があっても変わりませんが、お父さまは宗教団体の嫌な面を見たとのことで、こんなことに引っ張り込まれたのもお前のせいだということで、再び第2の迫害が始まります。

しかしもう、深見先生がお父様を憎むことはなかったそうです。

それから、もう一つ大きな出来事として、大本との出会いがありました。

そのきっかけは、お母さまが病に伏されたことに始まります。医者の診断では、どこといって悪いところはないということです。

他の人から、医者の範疇ではないのかもしれないとのアドバイスがあり、それで大本の宣伝師のことろに出向き、お取次をしてもらったそうです。

するとたちまち病状が回復したので、お礼にと、その宣伝師の師匠に当たる松本マツ子氏を尋ねて行ったそうです。

松本マツ子氏は、大本屈指のシャーマンと言われた有名な方です。

松本マツ子氏は出口王仁三郎、出口すみ、出口日出麿と仕え、第2次世界大戦中は、牢屋に収監されていた出口王仁三郎からの、「6大都市はすべて空襲で焼かれる。大本信者は皆、即刻疎開するように知らせよ」との命を受け取り、奔走したこともあります。

そのため多くの信者が救われたそうです。

不思議なのは、深見東州先生が大本の神戸分苑を尋ねる前、出口直日3代目教主が、当時全国を回って布教活動をしていた松本マツ子氏に、神戸に分苑を作りなさいと命じたことです。

理由は一切聞かないでと言われ、なぜ神戸に分苑を作り、神戸地区を受け持つことになるのか松本マツ子氏もわからないまま、そうされていたそうです。

しかし、そのおかげで、深見東州先生にとっては、大本屈指のシャーマンである松本マツ子氏との出会いがあり、そこで多くのことを直接学ぶことができたのでした。

その後も、出口京太郎氏から、「大本の中にも、狐だ、タヌキだ、霊だと言っている人がいるが、いつまでもそんな話をしているようじゃ本当の宗教とは何かを見失ってしまうよ」と諭されたことがあったそうです。

その言葉で、広くて大きな宗教的社会性に目覚めたそうです。

大本との繋がりは、大学を卒業した後も、しばらく続いていきます。

それから深見先生が大学受験に失敗し、神戸で浪人生活を送っているときのこと、高校時代に深見先生をフッたあの女性が、再び近づいてきたそうです。

ところがまた突然結婚してしまい、またまたフラれてしまいます。

それで深見先生は、周囲も驚くような読書家に変身します。

悶々とした葛藤を経験したゆえに、哲学や文学に走ったのか、目覚めてしまったのでしょう。

一日一冊読むほどの勢いで、浪人時代には本を読んでいたそうです。

ここまでの深見東州先生の信仰体験やお父様との相克は、本当はこんなものではなく、もっとものすごいことがたくさんありますが、ここには書けないような内容なので割愛しています。

そのお父さまとの間における、あられもない葛藤、苦しみを通じて、深見東州先生の不動の信仰心ができあがっていったのでしょう。

また、厳しく鍛えられたおかげで、常識の世界においても、相手を納得させることができるだけの実力を身につけることができたのでしょうと言われていました。

深見東州先生は、常識の社会に通用するようでなければ、神様ごとをやってもなんの意味も無いと言われています。

現実世界に通用しないただの神様狂いでは、社会的にダメになるのがオチであると、はっきりと言われています。本当にその通りだなと思います。

その後の大学時代、社会人になったあとも、深見東州先生の試練はうんざりするほど続きます。

あたりさわりのない部分だけしか書いていませんので、十分には伝わらないと思いますが、深見東州先生は、それらの試練を神様の大愛による神鍛えと受け取り、不動の信仰力を身につけたからこそ、現在のような大きな器の人物になることができたのだろうと思います。

同志社大学時代、ESSでの活動

生まれ育った西宮を離れ、京都の同志社大学に入学しますが、そこでもお父様の強引な命令によって、英会話研究を行うESSに所属することになります。

本当は大学で日本文化を学びたいと思っていたそうです。

しかし結果として、この時に学んだ英語の実力が、のちの深見先生のインターナショナルな活動を大きく支える力になります。

深見東州先生はESSでの活動を運命と悟り、徹底的に活動しました。

3年の時には委員長(プレジデント)を務めることになり、400人の部員をまとめ、組織改革を成功させます。

ディベート、ディスカッション、スピーチなど、複数のセクションがあるそうですが、それら全てに率先して励み、かつ他の大学との交流でも大きな話題になるなど、今でも同大学サークルの伝説になっているそうです。

そのあまりにエネルギッシュな活動や、深見先生の超人的な能力が学内で話題になり、何人もの人が相談にやってくるようになります。

ESS委員長時代には、 同志社付属女子高校のESSのコーチも引き受けますが、普段は優勝を争うには遠かった女子高も、この年だけは当たり年で、全国英語弁論コンクールに出場する女子部員に、君は優勝するよ、君は3位になる、君は5位かなと予想したところ、その通りの結果になったというエピソードもあります。

そんなこともあり、深見東州先生のことを、本気で宇宙人にちがいないという人まで出てきたそうです。

すでにこのころから、深見東州先生の超人的な能力の一端は発芽していたのでしょう。

この時代も、本当はたくさんの驚くようなエピソードがありますが、残念ながらこれだけで、他は割愛いたします。

大学卒業後上京

植松愛子 (橘カオル) 先生との出会い

建設会社に就職して東京に出てきた深見東州先生は、1年目からメキメキ頭角を現し、信じられないような営業努力で受注を取りまくり、トップ営業マンに躍り出ます。

その営業のやり方は、菱研会員は特にたくさん聞いてますが、度胸と根性の塊のような営業であると同時に、よく研究されていることに驚きます。

ここでは詳しく触れませんが、興味のある方は、深見東州先生(半田晴久)著作のビジネス書を読んでください。

実践的で信仰が生かされた最強の営業方法が書かれています。

深見東州先生の凄いところは、営業などの職務能力だけにとどまりません。

その合間には、寸暇を惜しんで古今東西の古典、古書、古文献をことごとく読破するなど、猛勉強もされています。

さらに、銀座にある道院紅卍字会の事務所に出向き、そこでは宗教的な求道研鑽にも励まれていました。

道院紅卍字会とは、ウィキペディアによると、『道教系の宗教団体「道院」に付随する修養慈善団体。戦前の中華民国及び満州において赤十字社に準ずる組織として活動した。略称として「紅卍会(こうまんじかい)」と呼ばれる』ところになります。

関東大震災のとき、それがくることを予知していたかのごとく、真っ先に蓄えた支援物資を送ってくれたこともあるそうです。

現在、公益社団法人日本紅卍字会の名誉会長には、深見東州先生が就任されています。

この元となる道院という宗教団体は、これもウィキペディアによると、『主祭神 – 黎明期は、扶乩(フーチ、ふけい)に依る乩示(けいじ) を御信託とした天啓宗教で、修養方法等は道教の流れを汲んでいたとされている。宇宙の独一眞神を「至聖先天老祖(老祖)」とし、最上位の神体に準じて、老師(道教)、項先師(孔子の師、儒教の祖)、釈迦(仏教)、マホメット(イスラム教)、キリスト(キリスト教)とされており、加えて歴史的な聖賢哲人を祭祀する包括信仰団体である。一宗一派に偏せず万教帰一の思想とする。』ということです。

その道院は、出口王仁三郎の時代に大本と提携を結び、親密な関係を保っていました。

それもあるのでしょうか、当時は日本中の霊能者のサロン的な観もあったようです。

そこでは、国士舘大学教授への招聘を固辞し、道のために生きた道院随一の碩学である根本宏氏から、多くを学ばれます。

そして、その分野においても圧倒的な頭角を現し、根本氏から、「もう私からあなたに教えるものは何もない。今度は、私があなたから教えられる番だ。山岡鉄舟を指導した滴川禅師が、鉄舟を指導する前と後では禅境が著しく激変したように、私もあなたを指導して大いに高められた気がする。君は『任天の導師』となる人に相違ない」と言われたそうです。

そうしてその数日後の、昭和52年の1月に、根本宏氏の仲介で、植松愛子(橘カオル)先生との出会いが訪れます。

この植松愛子(橘カオル)先生と深見東州先生のお二人の出会いが、ワールドメイトの原点と言っても良いかと思います。

深見東州先生は植松愛子先生を生涯の師と仰ぎ、一方では、現実界一本の厳しいお父様に激しく鍛えられながら、この先もあられもないような苦労と精進の日々が続いていきます。

深見東州先生が一般的な宗教家のイメージと違い、極めて理にかない、現実に即した教えを実践できるのも、現実界の常識を、ビジネスを通し、お父様との関係を通して、嫌という程叩き込まれた体験を積んでいるからでしょう。

実際にワールドメイトができるのは、この出会いから、さらに10年近くを経てからのことになります。

その10年間の間に、宗教や神仙の世界に偏らず、それをしっかりと現実社会に根付かせ、たくましく生き抜いていける基礎を身につけられたのだろうと思います。

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