神様の証は必ずある
今日は、ワールドメイトでいうところの神仏の証について、感じたことをつらつら書いてみようと思います。まとまりがないかもしれませんがご容赦ください。
神道は、現生利益を強く打ち出している宗教ですが、ワールドメイトも当然のことながら、様々な現世利益があります。生業豊かに家門高く弥栄えていく神道がベースにあるためか、死後の世界よりも現実世界に重きを置く宗教だと言えます。
日本の神道の歴史を見ると、神社やお寺に寄進したり、手厚く保護する貴族や武士がいたことがわかります。神仏のご加護や霊験を感じていたと思われる記述もたくさん残っていますね。
ちなみに仏教は、本来は涅槃寂静という内面的な高い境地を目指し、出家思想であの世に重きを置いていますが、日本に入ってきた仏教は、神道の影響を強く受けて、現世利益とも結びつく教えになっていますね。
日本の神々は、願い事を受け取ってくれる
基本、神仏から現世利益(おかげ)をいただくことは、間違ったことではなく、また不思議なことでもありません。
なぜ、わざわざこんなことを言うかというと、神仏に願いをかけるなんてことは間違っているという人もいるからです。神仏にはただ感謝する心さえあれば良いという考えです。感謝することで安らぎや心の平安が得られるだけで良いとする人も、かなりいると思います。神仏に願うなど、恐れ多い、不届きなことだという人もいます。
神仏に対する感謝が大事であることには、全く異論がありません。しかし、願い事はいけないというのは、あるいは現世利益を求めてはいけないというのは、日本の神道の神々の願いとは、少し違っていると感じます。
日本の神々は、そんなケチ臭い神ではなく、おおらかで、人々がこの世でも恵まれて幸せになってほしいと願う神々であると思います。そのことは、ワールドメイトに入会してから、特に強く思うようになりました。
ただしそのように書くと、神様は願いを、なんでも叶えてくれるのかと、つっ込まれそうですね。
それについては、無条件で神様が恵を与えてくださるのではありません。そんな虫の良い話はありませんし、もしもそんなことを言う宗教家がいれば、まがい物でしょう。
神様にも、人に密着した現世利益に近い次元から、国とか世界のような、大きなスケールで動く次元の神様まで、様々です。また、神社にしても特にこの願いには強いという神社があったりします。
今回はその部分には触れませんが、ワールドメイト会員は、そこも踏まえた上で、様々な神様の恵をいただく、尊い証を体験している人がたくさんいます。

神様が動かれる法則とは
とはいえ、会員でも証が出ないんですという人もいるので、どのようにすれば神様の証をいただけるのか、そんな人に話したことを一つだけ書いておきます。
まず、ワールドメイト会員は、「深見東州直伝! 願いが叶う祈り方教室・入門篇」(旧神法悟得会入門編)で習った方法で祈ります。奇をてらったものではありませんが、聞けば聞くほど的をえた、客観的にみても限りなく完璧に近い祈りの基本ではないかと思います。
「深見東州直伝! 願いが叶う祈り方教室・入門篇」については、インターネット上で詳しくは書けませんが、興味がある方はこちらの記事を参考にしてください。

この祈りをすると、小さな証は、わりとあっさり出たりしますが、それでも証がないと言う場合は、さらにしっかりと祈り切ることが大事だと思います。
祈り切るとはどの程度かと言われると難しいですが、深見東州先生ともなると、短くても30分から、4時間、8時間、時には12時間と、祈り続けることもされるようです。長くなるので今日は触れませんが、どうやったらそんなに長く祈れるのかについてもお話しされています。
とにかく、もうこれ以上祈れないと言うくらい祈ってみると良いと思います。1回で長く祈らなくても毎日続けてみるとか、21日間と区切って、毎日祈る方法もあります。とにかくそうやって祈っていくと、ある時から、もうあとの結果は神様にお任せしようという気持ちになってきます。毎日が精一杯やってると、短時間でもそうなることもあります。
そうすると、同時に何か行動を起こすようになってきます。あれをやってみようとか、こうしたらいいのでは、と自然な閃きや思いが出てきて、それを行動に移していくことになります。
そうやって行動に移し、努力したり工夫したりすることがポイントになります。深見先生もそのことを、何度もお話をされています。ホップ・ステップ・ジャンプという祈りの話なのですが、それが基本であり原則になるのだと痛感します。
願いを実現するための現実的な努力や創意工夫をやれるところまでやって、さらに、もうこれ以上は無理だーと魂の奥から叫ぶまでやり続けると、ある時から神仏が動かれるようになります。祈りを受け取った神々が、本気で努力するのを見届けて、よし応援しよう、手伝おうとなるようです。
それが神仏の証につながっていきます。ただ他人から見ると、神仏の証には見えず、ただの偶然ではないかと思う人もいるでしょう。
正法に不思議なしという諺がありますが、誰が見ても奇跡だとわかる不思議な証ばかりだと、人は道を誤るようになるでしょう。他人から見て、本人の努力の結果なのだと思えるくらいがいいのかもしれません。
本人には、それが神仏のおかげだということが分かっていて、感謝の気持ちを持つならば、その後もさらに神仏の加護は継続すると思います。

神様は人間の正しい願いなら、大いに叶えてあげたいと思いながらも、人間が努力しないと動けないようです。真摯に努力するまで、じっと見ておられるのでしょう。
そうやって人が努力するのを見定めて神様が動かれ、人々におかかりになり、一緒にやっているという状態が、素晴らしいことではないかと思います。
その時、人は自分の限界を超えて、素晴らしく脱皮している状態とも言えます。より進化し、向上しているのだろうと思います。それは神様の喜ぶところであり、人にとっても幸せが確実になっていくためのものでもあります。











