東京2020応援プログラム「文部科学大臣杯 2019ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ」開催
深見東州先生によってブラインドゴルフが日本に紹介されたのは、今から31年前のことです。ブラインドゴルフとは視覚障害者がガイドと2人1組でプレーする、障害者ゴルフカテゴリーの一つになります。
ルールは、ガイド(介添者)が付くということや幾つかの例外はあるものの、健常者のゴルフ競技とそれほど変わりません。四肢が不自由な方による障害者ゴルフになると、ほとんど変わらないとも言われています。
障害者ゴルフはノーマライゼーションスポーツの典型
「社会で日々を過ごす一人の人間として、障害者の生活状態が、障害のない人の生活状態と同じであることは障害者の権利である。障害者は、可能な限り同じ条件のもとに置かれるべきであり、そのような状況を実現するための生活条件の改善が必要である」とする考えをノーマライゼーションと言い、今日の福祉の基本的な概念の一つになっているそうです。
ブラインドゴルフを含む障害者ゴルフは、さまざまな障害者スポーツの中でも、典型的なノーマライゼーションスポーツと言えるかもしれません。
最近深見東州先生が、国際スポーツ振興協会で支援されているウィルチェアラグビーは、独特のルールのエキサイティングな障害者スポーツとして、とても人気があります。ただ本来のラグビーとは全く違いますので、健常者と一緒にラグビーをすることはできません。
しかしゴルフは、健常者と障害者が同じゴルフ場で、同じ用具を使って、ほぼ同じルールで一緒にプレーを楽しむことが可能です。そこで国際スポーツ振興協会は、主催するトーナメントのプロアマ大会などにおいてブラインドゴルファー、今は障害者ゴルファーも含めて、プロゴルファとプレーする機会を持つようにされてきました。
深見東州先生は、1988年にオーストラリアのパースで、初めてブラインドゴルファーを紹介されます。ロン・アンダーソンという方で、一緒にプレーをすると、当時ビギナーであった深見先生はスコアで負けてしまいます。
それでロン・アンダーソン氏から「ミスターハンダは目が不自由なんじゃないか?」(笑い)と、ジョークを言われてしまいます。そのように最初から、視覚障害を持つ人と健常者が一緒にプレーできることを体験されています。
その時のロン・アンダーソン氏との交流が、目が不自由なのに、それを全く意識させないほどあまりに感動的であり、楽しくて、大きな感銘を受けたことがきっかけとなり、日本にブラインドゴルフを導入したいという決意をされます。
その後、現在のゴルフ全般にわたる支援で、世界的な信頼と名声を築くに至りますが、詳しい経緯は下記に書いています。興味のある方は読んでみてください。

深見東州先生自身が、障害やハンディを持つ人に対する偏見を持っていたり、特別視をされない方なので、ノーマライゼーションスポーツのブラインドゴルフ(障害者ゴルフ)に、自然に入っていけたのかもしれません。
ジャパンオープン チャンピオンシップの結果
前置きが長くなりました。今回、深見東州先生が創設し、名誉会長を務める日本ブラインドゴルフ協会が主催する「文部科学大臣杯(第14回)2019ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ」が、9月18、19日の2日間、箱根湖畔ゴルフコースで開催され、世界6カ国から59選手が参加し、熱戦を繰り広げました。

ブラインドゴルフには障害の程度によって3つのクラスがあり、「B1」が全盲、またはほぼ全盲。「B2」は視力が0.03以下、「B3」は視力が0.1以下となっています。そして、この大会では各プレーヤーごとにハンディキャップがあり、それを引いたスコア(ネットスコア)と、総スコア(グロス)の二つで争われました。

冠タイトルにある文部科学大臣杯は、その3つのクラスに関係なく、ネットスコアの最上位者が優勝となりました。今回はオーストラリアの選手が優勝しました。日本選手は「B1」のグロス部門で優勝しています。
優勝したマーク・エシュバンク氏は、ゴルフを12歳で始めましたが、8年前に目が見えなくなり、そこからブラインドゴルフを始めたそうです。実は目が見えていた時とハンディは32のまま変わらないとのことです。ブラインドゴルフを楽しみ、かなり練習されてきたのでしょう。
表彰式では、「ブラインドゴルフは私に人生の目標を与えてくれる。半田先生はブラインドゴルフに対してサポートをしてくれ、他のスポーツにも貢献してくれる素晴らしい人です」と感謝されていました。

スポーツ紙に掲載された記事
今回の大会が、インターネット上にも、ニュースとして取り上げられていました。
スコアを競う楽しさもでしょうけど、様々な国のゴルフ仲間たちとの交流は、それ以上に楽しいひと時だったことが伝わってきます。
ブラインドゴルフをパラ種目へ 半田JBGA会長が意欲(デイリースポーツ)
日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)が主催する視覚障がい者のゴルフ競技会「文部科学大臣杯(第14回) 2019 ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ」が9月18、19日の2日間、神奈川県箱根町の箱根湖畔ゴルフコースで開催された。日本最大規模の国際大会で世界6カ国から59選手が参加。熱戦を繰り広げた。今年は東京五輪・パラリンピックを翌年に控え「東京2020応援プログラム」の一環としても開催され、将来の五輪種目へとつなげる重要な大会となった。なお大会はマーク・エシュバンク選手(豪州)が優勝した。
夕暮れの箱根。プレーを終えた参加者の誰もが満足な笑顔を浮かべていた。
3年ぶりの開催となるブラインドゴルフの世界大会「2019 ブラインドゴルフ ジャパンオープン チャンピオンシップ」。海外からも選手が参戦し、ラウンド中や表彰式では日本語、英語、イタリア語などさまざまな国の言語が飛び交った。国境を超えた交流、友情が、ブラインドゴルフを通じて生まれていた。
そんな様子を見ていた「世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)」総裁で大会主催者「NPO法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)」の名誉会長・半田晴久氏(68)は「継続していくことが大事。これからもブラインドゴルフ、障がい者ゴルフを日本と世界で支え続けたい。これが私の宣言。お約束です」と高らかに宣言した。
31年前の1988年。半田氏はオーストラリアのパースでブラインドゴルフに出合った。目に障害を抱えながらも、それを感じさせない明るくプレーする盲人たちの姿に感動。それが支援の始まりだった。「日本の視覚障がい者にもブラインドゴルフの楽しさ、素晴らしさを知ってもらおう」と帰国後に「日本ブラインドゴルフ振興協会」の前身で日本初の「ブラインドゴルフ倶楽部」を立ち上げた。そして、ブラインドゴルフだけでなく障がい者ゴルフの幅広い振興を図り、スポーツを通じた社会貢献を実践するために、08年に「国際スポーツ振興協会(ISPS)」を設立したのだった。「ブラインドゴルフの父」と言われる由縁だ。
長く続けてきた支援活動。それは、盲人ゴルファーの「ブラインドゴルフをパラリンピック競技に」の夢をかなえるためだ。今大会には、31年前に半田氏と一緒にラウンドし、ブラインドゴルフ支援のキッカケを作った盲人ゴルファーのロン・アンダーソン氏(78)が参戦していた。久々の再会に旧交を温めたが、実は彼からも「皆の夢がパラリンピックでプレーしたい。ミスター半田、かなえてくれよ!」と懇願されていた。
この言葉が半田氏の原動力だ。31年間、地道にロビー活動を続けてきた。ISPSを設立したのも「盲人ゴルフは障がい者ゴルフの1種目。まずは障がい者ゴルフが認められることが必要」との考えからだった。
「ぜいたくなスポーツ」。そんな概念があり、なかなか認められない中、半田氏の熱い情熱を持った地道な活動はようやく実りつつある。昨年からP&A(英国ゴルフ協会)が、障がい者ゴルフの枠組みと基準を作る動きを始めた。米のPGAもデモンストレーションの機会を設けた。
今大会も、スポーツ庁が後援したほか、前回からは文部科学大臣杯が授与されている。来年の東京五輪&パラリンピックを控え「東京2020応援プログラム」のサブタイトルも付くなど、世の中の認識も大きく変化。夢のパラリンピック競技に大きく前進している。全世界で競技人口は約600人だが、その3分の1にあたる200人が日本。それだけに、日本からこんな動きがあった事実が大きい。
大会開催中は熱中症の症状や徹夜での仕事など多忙を極め体調不良ながらも、表彰式に羽織袴(はかま)の正装で登場した半田氏。最後に「ダニーボーイ」など歌声を響かせ参加者を喜ばせるなど、国際大会のホスト国代表の責務をまっとうした。「継続が大事だ」。夢の実現へ今後も熱き思いを持って動き続ける覚悟だ。

障害者ゴルフをパラリンピックに
今回の大会には、深見東州先生がブラインドゴルフに取り組むきっかけとなったロン・アンダーソン氏が参加していました。深見東州先生とは久々の再会だったようです。
深見東州先生は、ブラインドゴルフをパラリンピック競技にしたいと言う夢を追い続けられています。そのきっかけとなったのも、ロン・アンダーソン氏の一言だったようです。「皆の夢がパラリンピックでプレーしたい。ミスター半田、叶えてくれよ」と、懇願されていたと新聞に書かれていますが、今回もその話が出たのでしょうか。
国際スポーツ振興協会を設立されたのも、ブラインドゴルフは障害者ゴルフの一つなので、障害者ゴルフがまず認められることが必要との考えからだったそうです。
それまで、世界中でブラインドゴルフを支援されてきましたが、障害者ゴルフも支援され始めます。特にヨーロピアンツアーと協力し、障害者ゴルファーがプロによるコーチングを受けられるシステムも構築されます。
現在のヨーロピアンツアーCEOキース・ペリー氏は、障害者ゴルフへの理解が深いようで、プロゴルファーにも、障害者ゴルフが浸透してきているようです。

昨年からは、R&Aが、障害者ゴルフの枠組みと基準を作る動きを始めました。そしてPGA(全米プロゴルフ協会)も、デモンストレーションの機会を設けています。
R&Aは、セントアンドリュースにある1754年設立の世界最古とも言えるゴルフ組織です。今は役割を分け、世界のゴルフルールを決定したりする、ゴルフ競技の総本山と呼ばれています。
英国にはゴルフを統括する正式な協会組織がないため、このR&Aが、ゴルフ協会の役割を果たす最高機関となり、USGA(全米ゴルフ協会)とともに世界のゴルフ界で最も権威があります。ルールやクラブやボールなどの基準も、この二つの組織によって決定されます。

深見東州先生は、障害者ゴルフをパラリンピック競技正式種目にするための地道なロビー活動も行われてきました。また、NPO日本障害者ゴルフ協会や世界の障害者ゴルフ団体など、多くの団体が実現に向けての活動を行っているようです。
今回の大会も、東京オリンピック・パラリンピックに向けての「東京2020応援プログラム」のサブタイトルを冠し、日本での理解も進んでいるのでしょう。
深見東州先生は、挨拶で「継続していくことが大事、これからもブラインドゴルフ、障害者ゴルフを日本と世界で支え続けたい。これが私の宣言。お約束です。」と力強く宣言されていました。
2028年ロサンゼルスオリンピックに向け、40年越しの悲願で、採用に向けての動きがゴルフ界全体でおきているようです。











