
深見東州「入門能楽講座」は東西の舞台芸術論に及ぶ

オペラは誇張の芸術、能は省略の芸術
西洋バレエは動くポエム。能は動く彫刻と言われたりするそうですが、深見東州先生は、西洋のオペラやバレエ、中国の京劇は誇張の芸術、それに対して唯一能だけが省略の芸術だと説明されます。
いかに省いて省いて、エッセンスだけにするか。最小限の動きで最大の内面性を表現をするのが能という芸術なのだそうです。
たとえば能は、おもて(顔に被るお面)のわずかなかたむきの角度のちがいで、喜びや悲しみを表現するそうです。
たったそれだけのわずかな動きで、感情の動きを表現するわけですから、演じ手の技術、芸の力量が大きく問われることになります。

そして能は、たとえ女の役柄でも荒々しい男の太い声で演じます。これは将軍などが能を舞う時に、女の役だからといってか弱い声を出すと権威に関わるからそうなったようです。
『羽衣』のような美しい天女が登場する演目でも、男性的な低い声で演じられています。天女の役をする人が女性能楽師であっても、それはかわりませんが。
男性的な太い声で歌っていても、心の声で女性が歌ってるように感じさせるのが、能楽師の力量なのだそうです。
一流の能楽師が演じると、そう聞こえてくるわけです。たしかにそう言われると、女性のように感じていたように思います。
深見東州先生は女役をあまりされていませんが、ずいぶん昔、間近で『西王母』を舞われたのを見ました。それが、まるで本当の女神様のように感じたことが、今でも印象に残っています。
そのとき一緒に観たワールドメイト会員も、同じようなことを言っていました。
そういうことで能は省略の芸術ですが、より内面の芸術性が見る人に伝わるためにそうするそうです。そこをしっかり鑑賞するのが、能の醍醐味の一つとも言えますね。

能は一点豪華主義
能は省略の芸術とはいえ、何もかも全部省略するのではありません。一点豪華主義で、シテ一点に集中させるのが大きな特徴です。
シテというのは絵画で言えば主題でしょう。絵画では主なるテーマを浮き立たせるために、それ以外を省いて描いたりしますよね。
能もシテだけが派手な衣装をつけるのは、シテを目立たせるためだそうです。その周りの脇役たちの衣装は、多少の例外はありますが、わりと地味なものを着ていると思います。
囃子方も黒紋付など、かなり地味な衣装を来ていますね。そうすることで主なるものが、自ずから引き立つわけですね。

能の芸術性は聞けば聞くほど奥深いものがあります。それだけに何も知らないで観ると、わかりにくいだけで終わるかもしれません。
だから、毎年行われる東京大薪能では、最初にたっぷり1時間ほど、深見東州先生による「入門能楽講座」が開催されています。
能に詳しくない人であれば、この講座を聞くか聞かないで、能鑑賞にたいする理解に大きな差ができると思います。
あるていど能の知識があって、理解して鑑賞すると、しっかり楽しめるようになりますからね。
「入門能楽講座」で舞台芸術への理解が深まる
毎回難解な能という芸術を、西洋の舞台芸術と対比させながらわかりやすく解説されます。これは、深見東州先生が西洋と東洋の芸術の神髄を、ともに深く極めていらっしゃるからできるのでしょう。
そのあたりを知っている人からすると、入門と言っても大学で教える芸術論の講義に匹敵する内容だと言う人もいます。
ただし、大学の講義のように難しい専門用語を並べるのではなく、ポイントを絞って、実際に楽しめるように、わかりやすい喩えや表現で話されます。
これも、真にその芸術を奥深く体得されているからこそできるのでしょう。膨大な知識にも驚くばかりですが、そういうところにも感心しながら聞いています。

ワールドメイト会員も、何人か能を習ってる人がいます。その人たちも「ものすごくためになる」と、つくづく感心していましたね。
芸術に興味と関心のある方は、ぜひ、この「入門能楽講座」を一度聞いてみることをお勧めします。また、一度聞いた人も、何度も聞くことで、もっと深く理解できるようになると思います。
実践と理論の融合したエッセンスを、簡単なことばでさらりとお話しされますからね。
一度聞いてわかった気になっても、実は聞き逃していたりしますからね。また、すぐに忘れてしまいますよね。おっと、これは僕のことです・・。