
パリ・オリンピック、リディア・コ悲願の金メダル

スポーツの持つ力を信じ、これまでスポーツの振興に取り組んできた深見東州先生ですが、はじまりはブラインドゴルフでした。そこからプロゴルフツアーへと支援の輪が拡大してきました。
その過程において、プロゴルファーとのアンバサダー契約、専属契約も結んできました。
僕の記憶に間違いなければ、英国のチャーリー・ハルとならんで、ニュージーランドのリディア・コは、そのキャリア初期の頃から長い期間、国際スポーツ振興協会(ISPS)アンバサダーでした。
馴れ初めは、2013年「ISPS HANDA ニュージーランド女子オープン」にリディア・コがスーパーアマチュアとして出場し、優勝した以降だと思います。
その2年ほど前の2011年2月、ニュージーランド南島のクライスト・チャーチ近郊で非常に強い地震が発生しました。大きな被害が出たことが日本でも報道されました。
その当時、ニュージーランド首相を務めていたジョン・キー氏は、オーストラリアでゴルフの支援をしていた深見東州先生に支援の要請を行います。ジョン・キー氏は、深見東州先生のオーストラリアにおける活動を以前から見ていて、知っていたのだそうです。
支援要請を受けた深見東州先生は、クライスト・チャーチのコミュニティ再建のため、「ニュージーランド女子オープン」の開催が重要であることを理解され、スポンサードを引き受けられます。
その後「ISPS HANDAニュージーランド女子オープン」が、2012年から5年間、クライストチャーチで開催されてきました。
リディア・コは、2013年から2016年まで連続で、この時期のLPGAツアーには出場せず、母国の「ISPS HANDAニュージーランド女子オープン」に出場します。そしてアマチュア時代を含め3度の優勝を飾ります。優勝賞金を、慈善基金に寄付していた年もありましたね。
その頃から深見東州先生との交流がはじまるわけですが、今回のパリ・オリンピックでは、ついに金メダルに輝きました。それを記念して、今回はリディア・コの記事を書くことにします。
まず、リディア・コのこれまでの主な戦歴です。
LPGAツアー(米女子ツアー)の主要タイトル獲得年は以下のようになります。
- LPGA年間最優秀選手 2015年、2022年
- LPGAツアー賞金女王 2015年、2022年
- CMEグローブ賞 2014年、2015年、2022年
- LPGAベア・トロフィー 2021年、2022年
2014年はルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルも獲得しています。世界における主要ツアーの成績は以下のようになります。
- メジャー優勝2回、2位3回、3位5回
- LPGAツアー 20勝
- レディースヨーロピアンツアー 7勝
- 韓国LPGAツアー 1勝
- ALPGツアー(豪女子)5勝
- その他 1勝(PGAとLPGA共催の混合ペア大会、ジェイソン・デイとのペアで優勝)
- パリ・オリンピック金メダル(リオは銀メダル、東京は銅メダル)
プロツアー通算28勝(ツアー重複を除いた数)、うちアマ時代のプロツアー優勝が4回あります。
プロ転向を明言したのは2013年10月、16歳のときです。本当は18歳からというLPGAの規定が免除され、特例でLGPAのメンバーになりました。その時まで、世界アマチュアゴルフランキングでは、130週連続1位をキープしていました。
驚くことに、プロ転向直後の女子ゴルフ世界ランキングで、すでに4位にいました。2015年2月に、朴仁妃を抜き、初めて世界ランキング1位の座につきます。
その後、朴仁妃に抜かれますが、またすぐに抜き返します。2017年6月にアリア・ジュタヌガーンに1位の座をあけ渡すまで、1位の期間はトータル85週になりました。
この頃までに達成した主な最年少記録などは、以下のとおりです。(現在は更新された記録もあります)
- 2012年/世界主要ツアー史上最年少優勝(豪州女子ツアー/14歳10カ月)
- 2012年/LPGAツアー史上最年少優勝(CNカナディアンオープン/15歳4カ月)
- 2013年/LPGAツアー史上初のアマ2勝目(CNカナディアンオープン)
- 2014年/LPGAツアー史上最年少でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得(17歳)
- 2015年/男女を通じて世界最年少の世界ランキング1位(17歳9カ月)
- 2015年/LPGAツアー史上最年少で通算10勝達成(フボン台湾選手権、18歳6カ月)
- 2015年/史上最年少でLPGAツアー年間最優秀選手(LPGAロレックス・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー)受賞
- 2016年/史上最年少でメジャー2勝目
- 2024年/パリ・オリンピック金メダルで、最年少での殿堂入りの条件を満たす。
2014年〜2015年のLPGAツアーで、アニカ・ソレンスタムと並ぶ29ラウンド連続アンダーパー記録を達成します。
2016年リオ・オリンピックでは銀メダルに輝きます。しかし翌2017年から2019年にかけて不調に陥り、長期間勝てない時期が続きます。ツアー1勝と苦しみ、世界ランキングも40位代まで下がります。
しかし2020年から徐々に復活の兆しを見せ、2021年にはLETとLPGAツアーで1勝づつをあげます。そして東京オリンピックで銅メダルを獲得すると、本格的に復調していきます。
翌2022年は大復活の年になります。LPGAツアー3勝を挙げ、主要タイトルも総なめにしました。そして11月に、5年6カ月という史上最長ブランクの経て、世界ランキング1位に返り咲きました。

2023年は一転して過去最悪の不調に陥ります。ポイントランキング80位までに与えられる来季フルシード権すら得られませんでした。
引退も意識するほどで、ツアー半ばに世界ランキング1位から陥落します。トータルでの1位の座は225週(歴代3位)になります。
2024年になると初戦に優勝し、復調していきます。そして今回のパリ・オリンピックでは、終始安定したプレーで、他の優勝候補が崩れていく中で最後まで崩れず、後続を振り切って金メダルを獲得しました。
金・銀・銅“メダルスラム”達成のリディア・コ 最年少記録を連発した天才少女がスランプ克服し“揺れない心”を手に入れるまで | ゴルフのニュース|総合ゴルフ情報サイト https://t.co/LpgaRVoar2
— 舩越園子 (@SonochanUSA) August 13, 2024
リディア・コは、かねてから30代になるまで、プレーをするつもりはないと明言し、ロレーナ・オチョアのように短くてスイートなキャリアに憧れ、もっと勝てたんじゃないか、と後悔するぐらいのタイミングで引退したいと語っています。
2022年には愛する人と結婚し、現在は27歳ですので、あと2、3年しかプレーを見ることはできないのかもしれません。
優勝争いをしていても、相手のショットがあと少しで入りそうになると、入れとのポーズをしたり、ナイスショットにすぐさま反応したりと、人格的にも素晴らしいアスリートだと言われていますね。もちろんファン・サービスも丁寧で、しっかりと行っているようです。
深見東州先生も、リディア・コが10代の頃からのお付き合いになりますが、なぜあのような良い子になるのか、リディア・コの母親に尋ねたこともあったそうです。母親もよくわからないということでした。