ワールドメイトで実感した、宗教団体におけるお布施の真意
宗教組織を運営するにはお金が必要です。なので、現実的な側面からもお布施の意味はあると思いますが、それがお布施の本質なのではありません。今回は信者からみたお布施の意義、寄付の意味について、少し書いてみます。
信仰から見たお布施の意味
最初に結論を書きますが、お布施や寄付というのは、信者からすると、神様への信仰の誠を表す行為の一つであり、信仰の道を深めるものだと思っています。
もしあなたが、1000万円の現金をどこかに落としてしまい、それを誰かが拾って警察に届けて、あなたの元に戻ってきたとします。そうすると届けてくれた相手に、心からの感謝の気持ちを表すでしょう。そして決まりだからというより、心から感謝の気持ちを込めて、お礼に100万円くらいを相手に渡すと思います。
そのように形に出すことで、相手も本当に心から感謝してもらっていることを、深く実感することができるでしょう。もしかすると相手が受け取らずに去ることもあるかもしれませんが。
また、結婚相手に素晴らしい人を紹介してもらい、本当に幸せになった人がいるならば、その後も、何かにつけ感謝の印として、紹介してくれた相手に贈り物を送ったり、家に招いてもてなしたりと、気持ちを形にして表すのではないでしょうか。
相手もその行為によって、本当に感謝してくれていることを、深く実感できて嬉しく思うでしょう。そしてありがたいことだと感じ、何かあれば、またあなたの力になってあげたいと思うことでしょう。
それが人の心を動かす誠と言われる行為ですね。誠は心の中で感謝の気持ちを抱くだけではなく、それを口に出し、さらに感謝の気持ちを行動で表した時に、感謝がより本物になり誠になるのだと思います。相手の心中深くまで響き、相手もその誠に対して何らかの形で応えてくれると思います。

神様に対しても、それとまったく同じようなことが言えると、ワールドメイトで深見東州先生は言われています。実際にワールドメイトでは、そのことを何度も何度も体験してきました。
信仰は心の中で神仏を敬い続け、慕い続けるものですが、それだけでは十分とは言えません。人間同士でも、相手のことを心から好きで、慕っているのであれば、何らかの行為に出ると思います。
嫌がる相手に強引に迫るとかではなく、一般的には、相手が喜ぶところを褒め称えたり、あるいは喜ぶものを贈ったり、喜んでもらえるなんからの行為をするのではないでしょうか。
宗教団体は金儲けと思う人たちもいる
もちろん神様というのは、人間とは違い、目に見える存在ではないため、実感が湧きにくいと思います。
また、お布施をすると言っても、神様が直接受け取るのではなく、便宜上、組織に渡すことになります。
したがって巷では、宗教とは、宗教団体がお金儲けするための手段ではないかと、そのように言う人も出てくるわけです。
神社でも、お賽銭は神社を運営する人たちに渡りますが、神社に対しては、そんなことを言う人はいません。ほとんどの人にとって、お賽銭は、痛くも痒くもない程度のお金を、自主的に、慣習として行なっているだけですから。
願いがあり、特別な祈祷をする場合であっても、5千円とか1万円程度の出費であり、それも自分から納得して行うわけですので、願いが叶おうが叶うまいが、お金を返してくれなどと言う非常識な人はいないはずです。

宗教団体になると、その宗教や宗派、組織によってもかなり違いがありますが、神社のお賽銭よりは、もっと大きなお金が動きます。しかも、一定のお金を定期的にお布施するケースが多くなります。
したがって、思うような結果が出ない場合、とう言うよりも、深く神様を信じきれていない人からすると、だんだん組織に貢いでいるだけなのではと、疑問に思えてしまう人が出てくることもあるのでしょう。
ましてや神の存在を否定する人からすると、どう見てもお金儲けだという結論になり、信者は騙されていると思ってしまうわけです。
少しマシな人になると、宗教によって救われる人もいるから、そのための謝礼と思えば、別に悪いものとは言えないと思う人もいます。
ワールドメイトで何が変わったか
実は僕も、ワールドメイトに入会するまでは、どちらかといえば、そんな感じだったかもしれません。神様の存在を信じてはいたと思いますが、そのように思う人たちの気持ちも、ある程度わかります。
そんな僕がワールドメイトに入会して、何を思ったかというと、神様って、実はすぐそばにいるんだということです。しかし社会で働いたり、趣味に埋没していたりすると、神様のことに関心が向かなくなってきます。
人間の場合は、こちらが好きで好きで、好意を持って意識すると、相手も、それを良くも悪くも意識しますよね。神様も同じで、こちらが強く意識すると、神様からの注目も強くなります。
人間と神様の違いは、人間には好き嫌いがあり、こちらが好きでも、相手からは嫌がられるケースも多々あります。それに対して神様は、好意を寄せてくれる相手に対し、好き嫌いで、拒絶されることは、まずないと思います。
それどころか、こちらが何も意識せずとも、一人一人を、親や優秀な先生、社会の指導者とは違う形で、高所大所から導いている存在だと言えます。

そして人間に人格があるように、神様にも高貴な人格のようなものがあります。
ですので神様に対しても、好きな人に対するときと同じように、感謝の思いを口に出したり、神様が喜ぶような行動をすることで、神様に対する真剣な思いが伝わります。
すると、神様もそれ相応に、その誠に応えてくれるようになります。そのようなやり取りの中で、少しづつ信仰心が育っていくのだろうと思います。
誠で動かない神様はいないと、ワールドメイトで何度も実感してきました。人は恋をすると、相手を身近に感じるように、神様も、実はすぐ近くにいらっしゃるのだとわかりました。あるいは、いつでもすぐそばにくることができると、思っていいと思います。
そのような状態になってくると、宗教が金儲けなどという思いなど、微塵も湧いてくることはないでしょう。洗脳などというものでもありません。洗脳とか、金儲けという思いが湧くのは、そのような信仰でしかなかったということになります。











