
東洋経済の深見東州インタビュー「宗教は実業と共存すべき」を読んで

少し前のことですが、週刊東洋経済9月1日号に、大々的な宗教特集が組まれていました。
見た方もいると思いすが、カネと権力というサブタイトルで、9つの宗教団体のことが取りあげられ、そのうちの一つがワールドメイトでした。
宗教団体全般に関して、いろいろと参考になる記事もたくさんありました。ワールドメイトに関しては、目新しいものは何も書かれていませんが、代表である深見東州先生へのインタビューが掲載されていました。
「宗教は実業と共存すべきだ」
東洋経済の深見東州先生へのインタビューのタイトルは、「宗教は実業と共存すべきだ」となっています。
このタイトルは東洋経済がつけたものでしょうけど、個人的には少々誤解を招く表現のように感じました。宗教は実業と区別した上で共存しても良い、あるいは共存したほうが良い、というのが真意に近いように感じます。
このタイトルだと、宗教団体も株式会社と同じように、利潤追求する組織でもかまわない、という意味にとる人もいるかも知れません。
新聞や電車内の広告でよく見掛ける『強運』などの本の著者、深見東州氏(67)。奇妙なコスプレ広告で有名な予備校「みすず学苑」の学苑長だけでなく、本名・半田晴久の名義で腕時計の卸商社や出版社を経営している。
深見氏が総裁を務めるNPO法人「世界開発協力機構」は今年3月、米国のオバマ元大統領を日本に招聘した。同機構はこれまでにも英国のブレア元首相など世界的な大物をゲストに招いている。別の財団では芸能人のチャリティコンサートも頻繁に行っている。イベントのたびに自らの顔写真入りの新聞広告を全国紙などに掲載している。
そんな彼は神道系の新宗教・ワールドメイトの教祖でもある。

宗教家であり、実業家であることは可能?
どんな理想を持っても良いですが、会社は利潤を生み出すことができないと、やっていけません。ぶっちゃけ金儲けができない会社は、存続意義がないと思っています。
一方、宗教のイメージとして、宗教家は清廉潔白な人格者であり、弱い人の味方であり、自分が貧乏してでも、人のために尽くすのが本当だと、そんな風に思っていました。
学生時代にキリスト教を学んだことがあり、その影響もあったのだろうと思います。
世間においても、バブル期の頃はビジネスはお金を儲けることである。宗教は貧しい人や苦しい人を助ける役割がある。そんなイメージがあったように感じます。
したがって宗教家と実業家は相反する存在である。金儲けを追求する実業家が宗教家になれるはずがない。もし実業家が宗教家をするなら、それは金儲けのための宗教ではないかと、そんなイメージを僕は持っていたと思います。

しかしワールドメイトに入会してから、実際はそうではなかったことに気がつきます。
西宮戎神社の十日えびすのお祭りでは、もろに商売繁盛を願います。ほとんどの神社では、ふだんから商売繁盛、家運隆昌、などの祈願が設けられています。
仏教でも、御護摩祈願で現世利益の願いを大々的に行なっているところもあります。成田山新勝寺や川崎大師などがそうです。日本でもっとも参詣客の多い寺院の一つですけどね。
現世や俗界に否定的と思える仏教思想も、日本では神道の影響を強く受けているのか、現世利益を大事にするところも多いと思います。
このように神道は、あるいは神道の影響を受けた一部の寺院もそうかも知れませんが、この世の現世利益を大事にする、現世の繁栄を肯定していると言えます。
それに対し、キリスト教では、このような現世利益をもろに祈願することはやっていませんよね。
もちろんクリスチャンでも、仕事を一生懸命にやって、自己実現をしたい、大きな仕事をしたいと思っている人も多いでしょう。
ただ教えとしては、現実の世界よりも死んだ後の世界により重点がおかれていると言えます。

以上のことを見た時、日本の神道的な土壌においては、実業家であると同時に宗教家である人物が出てきたとしても、それほど矛盾しないと思いました。
むしろ現代においては、経済が重要ですから、宗教家も経済のことを理解している方が絶対に良いと思うようになりました。
宗教家も経済社会に身をおき、サラリーマンを体験しないと、世の中のリアルな苦しみや葛藤を理解するのは難しい気がします。
複雑化する庶民の苦しみや悩みに応えていくのも困難になり、世間から乖離した存在になりかねない気がしますね。
教祖をやりながら実業家である理由
週刊東洋経済のインタビューで、深見東州先生は以下のように話されています。
なぜ教祖をやりながら実業家なの、とよく聞かれるが、私は生きた宗教とは時代を反映する存在であると考えている。国民の8割がサラリーマンやOLという経済の時代、私自身もビジネス社会に身を置き会社経営をすることで、10円、100円の尊さがわかる。
それでこそビジネス社会で人が何を求め、何に苦しんでいるのかが感じられる。庶民に寄り添った生きた宗教が実現できる。山寺にこもってもなんの意味もない。現世での繁栄と幸福、また魂の向上を求めるのが、神道をベースにしたワールドメイトの思想だ

巷の喧騒を逃れて、静かに癒しを求めたいのであれば、山奥のお寺を尋ねる意味も大いにあると思います。僕も行くことがありますし、美しい自然が残る山々峰々には、人々を元気にしてくれるものがあると感じています。
ただ人里離れて修行し悟りを得ても、あまり社会の役に立つことは少ないように感じますね。
ちなみにワールドメイトでは、出家修行者の逆を行く、この世での生活の中に修行があるという捉え方をしています。
滝に打たれる、山籠りを行う修行者ではなく、社会の中で普通に暮らし、仕事に励み、家庭を持ちたい人は持ちながら、その中に自己を錬磨する修行があるイメージです。

誤解のないように言うと、現世利益を求めるのが神道の信仰の本質ではありません。現実の繁栄を大事にしますが、現世利益は信仰する過程において必要なものとして得られたり、あるいは信仰に入る入口のような意義があると思っています。
現世利益を願う宗教は邪道という意見も見ますが、そもそもいきなり欲望を捨て、清らかな心で神仏を信仰するのは、かなり難しいでしょう。
また、現代で清らかな心ばかりを追求していると、世間では悪どい人もいるため、いいようにされ、ひどい目にあうことになるかも知れません。
現世利益もあり、幸福の実感を感じることができることで、より信仰が深まる人も多いと思います。
現世利益のために信仰するわけではありませんが、現世で立派に生き、文化性を高め、己を磨くためにも、現実の繁栄や豊さが、ある程度必要だと思っています。
ビジネスをする最大の目的は民衆の教化

展開しているビジネスの概要について教えてください
実業のメインは高級輸入時計卸・小売りで、日本で3番目の時計宝飾店となる。ここだけで年商50億円を超えている。予備校「みすず学苑」や家賃収入も加えると年商は86億円だが、出版業を加えると110億円を超える。その他の事業や公益活動も加えたら、国内で250億円くらい。大企業ではないが、中堅の事業体といったところだ。


それからもう一つ大事なことが書かれていました。
私がビジネスをする最大の目的は民衆の教化だ。単なる金儲けや活動資金の獲得ではない。それで私は天啓によって予備校に参入し、時計の卸商社を始めた。出版は布教のために必要だからやることにした。もちろん、予備校では普通の受験勉強を教えるし、腕時計の販売事業も宗教とは切り離される。ただ、私の中では宗教と実業とは共存している

先ほどまでの内容とも重複しますが、「経済の時代」なので、経済活動に真っ正面から取り組み、事業を起こし、経営して勝ち抜いて行く実力が求められる時代になっています。
そんな時代に、宗教家として人々を教化し導くのなら、当然そのような経営者としての一流の実績と能力があるほうが良いに決まっています。
それでこそ、社会の奥深い部分まで理解でき、社会人としての生き方なども含めて、総合的に対応できるのではないでしょうか。だから、「ビジネスをする最大の目的は民衆の教化」という言葉が出てくるのだろうと思います。
それをせず、世間から離れて修行したとしても、おそらく現代の悩める人々の救済には、具体的に結びつかないでしょう。
また、世界のリーダーや政治家、有能な芸術家、スポーツ選手、芸能人たちとも交流し、協力して社会のために大きなことをやろうとしても、そのような成功者からは、あまり相手にされないかも知れません。

それから、そのように最大の目的は民衆の教化であり救済であっても、宗教活動とビジネス活動は区別されています。
ときどき深見東州先生が経営されている予備校のみすず学苑のことを、宗教(ワールドメイト)系の予備校と思っている人もいるそうですが、それは勘違いをしています。宗教系の学校は教育熱心で優秀な学校が多いと思いますので、別にそれはそれでも良いのかもしれませんが。
ミッションスクールなどは、創立の母体がキリスト教の組織で、その後も資金援助を行ったり、宗教の科目や礼拝があるところもあります。
しかし、みすず学苑はそのようなケースに全く当てはまりません。ただ学苑長がワールドメイトの教祖もしているというだけで、ワールドメイトが創立したわけでもありません。そもそもみすず学苑の創設の方が十年ほど早いわけですから。
もちろんワールドメイトからの資金援助もないし、資本関係も無いそうです。
少人数制の普通の授業をする予備校として、難関校への合格率が高く、偏差値が上がる予備校という評判のようです。創立者の宗教的な情熱が、熱心で面倒見の良さにつながっていると言われています。

深見東州先生の他の事業も同じだと思います。出版業のたちばな出版も、宗教団体の出版部門ではありませんから、税金の優遇もなく、普通の出版社と同じ扱いになっていると思います。
株式会社ミスズの時計部門も、予備校と同じくワールドメイトができる10年近く前から始まっていると思いますが、他の事業同様に、ワールドメイトの資金で経営しているのではありません。
それらのことは、テレビの取材番組でもはっきりと言われていました。そもそもそんなことをしていれば、税務署が黙ってはいないでしょう。宗教活動と事業は区別するように指導が入ると思いますからね。
しっかりと区別し、その上で共存しているのだと思います。

今回の東洋経済の宗教特集によると、「信教の自由をたてに開き直る宗教界への疑問」ということで、宗教団体は収支をひた隠し、所得をごまかしてきたかのようにも読めます。
そんなことが過去一部の団体にはあったのかもしれません。詳しくは知りませんが、宗教団体の管理には、様々な問題があるのも事実なのかもしれません。
ただ、ワールドメイトに関しては、これまで何度かマルサや税務署の査察がきていることをワールドメイト会員は皆知っています。
それで何も問題がなかったというのが最終的な結論になっています。不正な経理があれば税務署が見逃すとは思えませんし、ワールドメイトと税務署を信じるしかありません。
そのように、ビジネス活動とワールドメイトの宗教活動を混同せず、法的にも財政的にも明確に区別し、その上で共存してきたことが、客観的な事実から明白になっています。
ワールドメイトの年間収入と使途について
最後に今回のワールドメイトの記事では、ワールドメイトの年間収入も書かれていました。
決算報告が会員にも公開されていますが、年間110億前後の収入のうち、かなりの割合を弱者救済や、社会や人々に益する活動のために使われています。
ワールドメイトの公式サイトに掲載されている以下の文とも、矛盾するものはありません。
ワールドメイトの会費収入は、年間約10億円ありますが、この10億円は、そのまま弱者救済のために使われます。それは、カンボジアを含めた、ラオス、アフリカ、中国、イギリス、アメリカ、豪州、日本など、世界に広がります。
また、障害者のための世界的福祉にも使われ、スポーツや芸術でも、弱者救済の局面に使われるのです。10年で100億円、20年で200億円になります。
会費以外の、通常の皆さんのお玉串で、組織を運営し、文化、芸術、スポーツの振興を進めてるのです。こうして、会員数が増えれば増えるほど、確実に弱者が救われる仕組を作ったのです。
ということで、まだ書き足りない部分はありますが、東洋経済の雑誌やインターネットの記事を読んで、とりあえず思いつくままに書いてみました。長くなりましたので、また別な機会に続きを書きたいと思います。