
女子シニアゴルフの活性化に尽力

深見東州先生とゴルフの関係は、まずブラインドゴルフとの出会いから始まりました。そちらに関しては、以下の記事で詳しく書きました。

そして、ブラインドゴルフへの支援の流れから、女子シニアゴルフとの出会いがあります。さらに男子シニアゴルフへの支援、レギュラーゴルフへの参入と続くわけですが、この記事では主に女子シニアゴルフを支援するに至った理由と、主な活動について書いています。上の記事の続きとして読むと、一層ゴルフへの取り組みの流れが理解できやすいと思います。
日米の交流が今ゴルフの社会貢献に必要
2003年4月、JBGA(日本ブラインドゴルフ振興協会)創立15周年記念ブラインドゴルフ・ジャパン・ツアー関西大会が、兵庫県・社団法人神戸ゴルフ倶楽部六甲山ゴルフ場で開催されました。神戸ゴルフ倶楽部は日本最古のゴルフ場ですが、あるイギリス人が社会に貢献できることはないだろうか、と思って設立したそうです。そして、この神戸の地にイギリスのゴルフ文化が根ずき、日本のゴルフ界の草創期を築いたゴルファーが多く誕生したという、そんな由緒あるゴルフ場なのです。
その神戸ゴルフ倶楽部が100周年を記して、ブラインドゴルフに対し、全面的な協力をはじめたのでした。そのとき深見東州先生は、神戸ゴルフ倶楽部の方から、「最初の100年はゴルフの普及でした。次の100年は、ゴルフの社会貢献を」という話を聞かれ、いたく感銘を受けられます。そして、ブラインドゴルフだけでなく、ゴルフの社会貢献の道を模索され始めます。

そんな頃、ブラインドゴルフに強力な味方が現れます。稲葉真寿美プロです。稲葉プロは、JBGAと半田名誉会長の活動に感銘を受け、ブラインドゴルフの活動に参加しはじめます。JGBA所属第1号プロとなり、レッスンだけでなく精神面や体力面もふくめたケアにも取り組み、ゴルフを通じて培ってきたすべてをブラインドゴルファーのために役立てたいと努力されています。
そんな稲葉プロから、女子プロゴルフ界の実情を聞かれた深見東州先生は、女子シニアプロの厳しい現実を知ることになります。45歳から女子シニアプロになれますが、当時は女子シニアの公式戦がアメリカにしかなかったそうです。
だからといってレギュラーツアーで戦うには、当時、宮里藍、横峯さくら、諸見里しのぶらの若手の台頭や、不動裕里、福島晶子など、パワーゴルフ全盛の時代でもあり、同じステージでしのぎを削るだけの体力を保つのは非常に困難な状況でした。
日本女子プロゴルフ協会600人のプロのうちの半数がシニアですが、レギュラーで活躍できるのはほんの一握りの選手です。かといってレッスンプロ、ティーチングプロの道は、ほぼ男子プロの独壇場です。女子シニアプロの現状は、そのように厳しい環境なのでした。
そのことを知った深見東州先生は、「もしもアメリカのシニアツアーと一緒にできるとすればどうか」と稲葉プロに聞きます。そして米国女子シニアゴルフ協会(WSGA)のジェーン・ブラロック会長に、真正面から情熱を持ってぶつかっていかれます。
ワールドメイト会員は、どんな大物にも真正面からあたっていき、難しい交渉を奇跡的に成功させてきた深見先生の姿を知っています。このときも、その一つと言えます。
アメリカのゴルフ界は、いうまでもなく世界最高の舞台です。世界から強豪が参戦し、最強をかけてしのぎを削っています。そしてシニアゴルフにおいては、男子は大盛況です。しかし女子に関しては、日本とは比較にならないとはいえ、当時年間3試合だけという、とても寂しい状況におかれていました。
深見東州先生は、米国女子シニアツアーを支援し、活動を活発化させ、日米のシニアゴルフの交流を図ることは双方にメリットが大きく、ゴルフの社会貢献を考えるときに今一番必要とされていることかもしれない、と考えたそうです。そして米国女子シニアゴルフ協会(WSGA)のジェーン・ブラロック会長と面談し、日米のシニアが中心となって「ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」の開催を提案し、協力の意向を得たのです。
さらに日本に帰って、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)に接触し、賛同を得て、開催に向かって着実に動き始めます。そしてついに2005年4月9日に、開催の運びとなります。試合開催が決まるまで何も知らなかったワールドメイト会員も、ゴルフの知識がある人はみんな驚いていたのを思い出しますね。なにしろ参加メンバーが超豪華だったからです。
世界の女子プロとブラインドゴルファーとの感動 ! 感動 ! のラウンド
「ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」は、全米女子プロゴルフ協会公認シニア競技として、2005年4月9日・10日に、静岡県、伊豆大仁カントリークラブで開催されました。主催は世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)、米国女子シニアゴルフ協会(WSGA)、NPO法人日本盲人ゴルフ振興協会(JBGA)です。日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)は特別協賛になっています。
往年の世界的な女子ゴルファーがずらり揃った超豪華な大会です。LPGAツアー通算88勝のキャシー・ウィットワース(男子PGAを含め歴代最多勝利)、パット・ブラドリー、パティ・シーハンの世界ゴルフ殿堂入りした3選手をはじめ、今回の米国女子シニアゴルフ協会(WSGA)の選手団を率いるジェーン・ブラロック会長、豪州の元祖ビジュアル系ジャン・スティーブンソンや、南ア出身のサリー・リトルなど、世界6ヶ国から16人が参加。迎え撃つ日本からは、かつて米国ツアー挑戦経験もあるト阿玉、森口祐子の永久シード選手をはじめ、吉川なよ子、高須愛子、今掘りつなど8選手が参加しました。24選手で賞金総額30万ドルをかけて、2日間36ホールを競いました。

試合結果はぶっちぎりで、ト阿玉プロが優勝しました。さすがJLPGA賞金女王獲得回数2位だけのことはありますね。ちなみに1位は樋口久子プロです。私のように女子プロゴルフに関心がなかった人間でも、ト阿玉と樋口久子と岡本綾子プロの名前くらいは知っています。
今回の大会の前日には、プロ・アマ・ブラインドゴルファー・チャリティートーナメントが開催されました。深見東州先生も、ブラインドゴルファーの志賀功さん、樋口久子プロ、キャシー・ウィットワースの4人組チームで出場されました。すごいチームですね。
ただこの日のトーナメントは成績が大事なのではなく、国内外のブラインドゴルファーが、偉大な女子プロといっしょにプレーできることに、何よりも素晴らしい意義がありました。大会に出場することができたブラインドゴルファーの喜びは、想像に難くありませんね。
実はそれにもまして、一緒にプレーした世界の女子プロの感動が、また素晴らしいものだったそうです。終わって表彰されるブラインドゴルファーを見る彼女たちの目は、みんな赤く染まっていたそうです。「こんなに感動的で、楽しいゴルフをしたのは初めて、ゴルフをやっていて良かった~」「見てて涙が出ました」「ガイドさんもすごい。今度トーナメントに出るとき、ついてもらおうかしら。優勝できるかも」「私も(JBGA)の契約プロにしてもらいたいな~」などなど。最年長のブラインドゴルファーと、ガイドの孫娘と一緒にプレーしたパティーシーハンにいたっては、「今日は二人の天使と会いました。だから明日死んでも悔いはない」と、感動と驚きの感想にあふれ、その日は遅くまで盛り上がったそうです。
また、オーストラリアプロゴルフ界の重鎮であり、深見先生の友人でもあるテリーゲール氏は、今大会の開催にあたり、「半田晴久氏は多年にわたり、ブラインドゴルフトーナメントのスポンサーとして、世界中でトーナメント参加者同士の親睦を図ってこられました。今回の伊豆大仁カントリークラブにおけるトーナメントは、視覚障害を持ったゴルファーが世界のベスト女子シニアプロに挑み、自分たちの技能を試すといった点で異例のことといえるでしょう。このユニークな大会において、参加者がお互いの力をたたえあい、敬意を表すことは明らかです。ブラインドゴルファーの参加者全員が、どれほど喜びを感じながら大会に参加されているか、私は過去の経験から知っております。今大会がより一層特別なものになることを確信しております」とのメッセージを寄せていました。
深見東州先生は言われます。「私事を述べれば。ブラインドゴルフ、女子シニアプロに関わることによって、自分のゴルフがおおいに変わってきたことを自覚しています。技術が向上すれば、ゴルフの楽しさも、深さもいっそう理解できるというものです。この楽しさ、喜びをより多くのプラインドの人たち、さらには障害を持つ方々や、成人病で悩む方々に知ってもらい、楽しみ喜びながら健康になっていただきたいものです。そして、できれば障害者とともにゴルフを楽しみ、ボランティアにもなっていただきたい。ゴルフを通じて社会に貢献できることほど、喜びと充実と魂が満足する健康づくりはないのではないでしょうか。この思いが、私を明日に向けて推し進めてくれるエネルギーになっているのです。」
楽しんでボランティ活動を行い、社会に貢献するというのは、ワールドメイト会員も同じような思いを持っているかもしれません。
ちなみに深見東州先生のスーパーチームは、24チーム中、堂々たるブービー賞だったそうです。プロ二人がいるチームですので、もらえるハンディが少なかったようですね。本当は、ティーでは寄席の雰囲気で、フェアウェイやラフではレッスン場と化してしまったことが(笑い)、理由だったようですが。
日本女子シニアプロの活性化へ
2005年4月「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」が大成功のうちに終わった後、まず6月には、JBGA(日本ブラインドゴルフ振興協会)主催による「JBGA シニアレディスカップ」が開催されます。そして、日本女子プロゴルフ協会の全面的な協力のもと、国内の女子シニアプロがたくさん参加しました。
ちなみにこのときも、「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」同様、前日に、ブラインドゴルファーを交えたプロアマの競技が開催されています。また7月には、第2回盲導犬チャリティーLPGAエバーグリーンゴルフカップが開催され、JBGA専属プロの稲葉真寿美プロが優勝したそうです。
そして、女子シニアトーナメントが多くの人にも認知されはじめ、シニアトーナメントのスポンサーになる企業も出てきました。その年の10月に「2005大宝シニアレディースカップ」、11月にはLPGA シニアトーナメント「ふくやカップ2005マダムオープン」が開催されました。そのように、女子シニアゴルフの振興のために尽力されたことで、それがきっかけとなり、女子シニアの大会が増えはじめ年間5試合になったのでした。 週刊ゴルフダイジェストの、2005年4月の記事を参考に掲載しておきます。

BGA名誉会長で主催者代表の半田晴久氏に話を聞いた。 「どうして女子シニアか、と問われれば、誰もやらないからです。男子シニアは減ったとはいえ試合がある。でも女子シニアはアメリカではあるけれど、日本ではない。シニアプレーヤーはどんどん増えているのに、この人たちは一体どうするんだろうと心配になっちゃった。アメリカの選手達は社会還元ということを考えているから、ブラインド(盲人)ゴルフという趣旨にすぐに賛同してくれて実現に至った。これでブラインドゴルフというものが少しづつでも広まれば」と、スポンサーのつかない女子シニアにとっては救世主が現れたようなものだ。
米国では今年も3試合、女子のシニアトーナメントが行われるが、やはり「スポンサーを探すのは難しい」(ジェーン・ブラロックWSGA会長)。そのスポンサーをWBGA、JBGAが引き受ける。逆にブラインドゴルフ関係者にとっては、有名選手達がプレーすることで注目を集め、ブラインドゴルフについて世間に知らしめることができる。同時に大会前日のプロアマでは、トップブラインドゴルファー達をプレーさせることで、やりがいを与えると言うメリットがある。
実は、日本でも昨年、協会主催で第1回盲導犬チャリティLPGAエバーグリーンゴルフカップが行われている。「詳細は未定だが、第2回大会も7月ごろに開催予定」(日本女子プロゴルフ協会LPGA小林法子理事)と、シニアトーナメントと社会還元を関連付けることには積極的だ。
The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会)会長に就任
それからジェーン・ブラロック米国女子シニアゴルフ協会(WSGA)会長は、会員に諮り、深見東州先生をWSGAの理事に据えることを決定します。良好な関係を今後とも保っていくためだそうです。それほど深見先生を厚く信頼し、ゴルフの社会貢献に取り組む姿勢に大いに賛同されたのでしょう。
そして翌2006年4月12・13日には、世界ブラインドゴルフ協会の公式競技である、「ブラインドゴルフ世界選手権」が日本で開催されます。この大会の各カテゴリーの優勝者は、「第2回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」の前日に開催されるプロアマチャリティートーナメントで、一緒にプレーしたいシニアプロと組むことができました。
その「第2回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」は4月15日から、太平洋クラブ御殿場コースで開催されました。再び世界殿堂メンバーをはじめとする、超一流の海外ゴルファーが多数来日しました。
さらに2006年の11月には、深見先生が代表取締役をつとめる菱研の主催で、「菱研シニアレディースカップ」も行われました。 またこの年、日本女子プロゴルフ協会では、シニアの活性化をはかるため、日本女子シニア初のクォリファイングトーナメントを開催しました。これにより、主要大会への出場権が獲得できるため、122名がシニアプロに登録しました。
というように、女子シニアゴルフは1、2年の間に大きく変化してきました。女子シニアプロの活躍、活性化は、レギュラーで活躍している女子プロの将来の受け皿を作る意味でとても大事だと思うと、ワールドメイトの友人も言っていました。今、隆盛を極めている日本の女子ゴルフツアーの今後に注目したいと思います。
また、2006年の暮れからは、海外でThe LEGENDS Tourと協力して、女子シニアゴルフの大会を開催されます。そして2007年には、世界の女子シニアへの貢献が認められ、協会からのたっての依頼により、米国女子シニアゴルフ協会会長に就任されます。
日本人で、しかも男性が米国女子シニアのトップになるなんてことに正直驚きました。ゴルフ好きのワールドメイトの友人も、ありえないくらい凄いことだと言っていました。どうもアメリカの女子シニアのスター選手たちは、深見東州 (半田晴久) 先生のことが大好きのようですね。そうじゃなければ、日本という離れた、しかもプロゴルファーでもない深見東州先生が世界の女子シニアのトップに就任されるなんて、その貢献度と手腕は誰もが認めるにしてもありえないと思います。
深見東州先生は世界の女子プロにまじって、得意の歌やパフォーマンスを披露し、大ウケだったという話も聞きました。米国の女子プロのハートをガッチリつかまれているのでしょうね。
そして、レジェンヅツアーでは、「HANDA CUP」という、女子シニアプロを対象とした、米国選手チームと世界選抜チームによる団体戦が2006年から2015年まで開催されました。女子シニアプロ版のプレジデントカップと言えますね。
以下に2013年までの出場選手と成績を載せておきます。2013年からはISPS HANDA CUPに名前が変更されていました。
