
ワールドメイトに入会してすぐの不思議な体験

まだワールドメイトに入会する前の、かなり昔のことですが、あるキリスト教の牧師さんとお話をしたことがあります。
その方は牧師さんになるくらいですから、神様に対する思いが、とても強いと感じました。その方が、まだ牧師になったばかりの若い頃、神さまに対して、あることを強く祈ったそうです。「私にどうぞ、そのお姿をお見せください」と。
その方は、神の姿も声も聞いたことはないけども、神の存在を確信しているそうです。でも、やはり神の姿を見たい、声を聞きたいと思ったのだそうです。
それで、ずっとそのことを神様に向かって祈り続けました。途中の詳細な話は省きますが、結局神の姿も見えず、声も聞こえなかったとのことです。
それでも満足するものはあったそうです。その後も熱心な信仰者として、キリスト教の伝道に力を尽くされています。

なぜかその話は、何年たっても忘れられず、信仰とはそんなものかなと思いました。私は、キリスト教にはあまり関心がなかったのですが、神様の存在だけは、それなりに信じていました。
もちろん姿も声も聞いたことはありません。ただ神様も守護霊の存在も、小さい頃からなぜか信じていました。とはいえ宗教団体や既存の宗教には、どうしても関心が湧かなかったのだけは不思議です。
今みたいにマスコミが宗教を叩いたり、一部の人が新興宗教をカルトのように言う時代ではありませんでした。それでも毛嫌いこそしませんが、宗教団体に入信しようという気持ちは、さらさらなかったのです。
そんな私が、ワールドメイトにだけは興味を惹かれ、出会ってから程なくして入会したのは、今思い出しても不思議なくらい自然でした。
ワールドメイトに入会して、確かにここは宗教団体だなと強く思いましたが、何も抵抗を感じることもなく自然と受け入れていたのは、今思い出しても不思議な気持ちになります。
そのような僕でしたが、入会して間もなくワールドメイトのとある祭事にて、ある不思議な体験をすることになります。
まず、深見東州先生が登場されてお話をされました。話の内容はすっかり忘れましたが、話がそろそろ終わりに近づいた時のことです。深見東州先生を中心に、巨大な薄いシャボン玉のようなものが見え始めました。

目の錯覚だろうと思って、目をこするのですが消えません。そこにはスポットライトもなかったので、光の加減ではありません。
そもそも深見先生が動く通りに、その巨大な透明の玉も動くので、固定ライトの仕業でもありません。半透明に透き通っていて、表面には光沢があるのですが、玉の中にいる深見先生も、その他のものもはっきり見えます。
なんだろうなこれはと思っているうちに、深見東州先生のご退場とともに、その玉も一緒に舞台袖に移動し見えなくなりました。
後でわかったのは、おそらく深見東州先生の御魂だったのだろうと思います。大きさも、その後のお話で聞いたのと同じくらいでしたから。
普通の人には、おでこのあたりに、20〜30センチくらいの玉があるそうです。もちろん普通は見えません。天眼というものが開かないと見えないようです。
深見東州先生の御魂は、とても巨大で澄み切っていて、部屋からはみ出すほどだということを聞きました。ちょうど僕がみたものと、ほぼ一致するくらいだと思います。

長い休憩の後、深見東州先生が再登場され、ワールドメイトの祈祷会がはじまりました。その時は、先ほどの玉はもう見えませんでした。しかし、また不思議なことがおきます。
守護霊交代秘儀という祈祷会でしたが、深見東州先生がやっと登場されて祝詞を奏上されると、僕は何も悲しくなかったのに、涙がボロボロ出てきて止まらなくなったのです。
な、な、なんなんだろうと思いながらも、深見東州先生の祝詞は始まってますから動くわけにもいきません。静かにじっとしていました。
そうすると頭頂あたりで、どなたかお爺さん姿の、柔和な感じの男性が泣いているのが見えました。嬉し泣きしていることがはっきりわかりました。
以心伝心というのでしょうか、僕の胸の中で声がした気がしました。「やっとここまで連れてこれた、役目が果たせて良かった。」と。
喜びと、名残を惜しむ気持ちが入り混じった表情で、泣いていることが伝わってきました。
そうすると、僕もその思いに感応して、一層涙が止まらなくなりました。今度は、本当にもらい泣きをしていました。
これも後からわかったのは、その時に、今までずっと導いてきてくれた僕の守護霊さんが、新しい守護霊さんに交代されたようでした。
もしかすると、前の守護霊さんは、先祖の中でも僕に近い方だったのかなと思います。僕は自分のやりたい放題な人生を送ってきましたから、なかなか守護霊さんの思い通りにならずに、てこずらせてしまっていたのでしょう。
しかしデキの悪い子ほどかわいいと言いますから。僕としては、とっても親しみを感じました。いつも守護霊さんの存在を信じて祈ってましたから、余計にそう感じたのかもしれません。
そして最後に姿を見せて、声を聞かせてくれたのかもしれません。

深見東州先生は、その著書「強運」の中で、以下のように書かれています。それを紹介して終わります。
神様と仲良くするにはどうしたらいいか、とよく聞かれる。これは非常に簡単だ。誰でもその気にさえなれば、必ずできる。その方法はこうだ。とにかく心を無にして、我を捨てることが大切。そして、そこには神様がいると思って、意を誠にして親しもうと努力すればいいのである。
「全部神様にゆだねます」といった心境である。そして、自分自身の人生を、神様から好かれるような人間になるため、世のため人のために使おうと決心する。そして、それができるようになるべく、精進努力すればいいのである。
この思いを1年2年と継続させ、同時にそれにふさわしい行いもする。すると、自然と必要な時に”霊眼”が開けてきて、神様の声が心の奥で聞こえるようになる。実に簡単。簡単すぎて、信じられないほどだが本当だ。
ただ、我を捨てる、継続して思い込むという点が、ちょっとばかり難しいかもしれない。が、最初から一年間やるぞ、と決意してもあまり期間が長いと途中であきらめてしまうので、たとえば、初めはとにかく1週間頑張ってみて、それができたらまた1週間延ばして・・という具合に、少しずつ継続させるといい。
もしかしたら、最初のころ3週間で神様の声を耳にすることができるかもしれないし、頑張って頑張り通してやっと1年目に聞くことができるかもしれないし。神の声へチャレンジするのなら、まずその前になるべく、「1ヶ月頑張りますから、それまでに必ず声を聞かせてください」と、ある程度期限を区切った方が、神様も結論を出しやすい。
ところで、神様の声と言っても、本当は守護霊の声の場合が多い。というのは、神の声を聞くためには、それなりの手続きを踏まねばならないからだ。その点、守護霊は案外、気軽に答えてくれる。総理大臣と直接話をするのは難しいが、市長や町長さんなら話が可能なのと一緒だ。しかし、市長だからといって軽く見てはいけない。総理大臣からの親書を携えて、それを直接、代読という形で市長や町長が伝えることもあるからだ。だから、守護霊の声だからといっても、それは神の意志を伝えていることにもつながるわけだ。