
半田晴久会長による障がい者ゴルフ支援とパラリンピックに向けた動き

今から37年前の1988年、ブラインドゴルフを日本に初めて紹介したのが深見東州先生でした。それ以降、日本と世界のブラインドゴルフを支えてきたと言っても過言ではありません。
2006年に、スポーツの社会貢献と障害者スポーツの幅広い振興を図るために国際スポーツ振興協会(ISPS)を設立し会長に就任されると、ブラインドゴルフの普及に、いっそう取り組まれてきました。

具体的には、1998年に深見東州先生の提唱によって設立された世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)への支援を通じて、各国のブラインドゴルファーが一堂に集う世界選手権大会の開催。また、英国、アメリカ、カナダ、アイルランド、オーストラリア、イタリア、南アフリカ、そして日本における複数のブライドゴルフ大会の開催などを、今日まで継続して支援してきました。
ブラインドゴルフから障がい者ゴルフ全体の支援へ
パラリンピック正式種目採用に向けても取り組みを加速させます。ブラインドゴルフは障がい者ゴルフの一部門ですから、それ単体でパラリンピック種目になることはありません。必然的に障がい者ゴルフの支援へと、活動の幅が広がっていきました。
2012年からは英国PGAの協力により、多くのブラインドゴルファーや障がい者ゴルファーが、プロの専門的なコーチングを受けられるようにと、「ISPSハンダ PGAアカデミー・プログラム」がヨーロッパで開始されます。
このプログラムは、英国PGAのゴルファーに、視覚障害・身体障害を持つゴルファーをコーチするためのトレーニングを行い、コーチの資格を与えるものです。
英国や米国など複数のトーナメント開催地でもワークショップが開かれるなど、非常に多くのレッスンが提供されるようになりました。

日本では、2012年に障害者スポーツの国体と言われる「全国障害者スポーツ大会」ぎふ清流大会において、障害者ゴルフのオープン競技、および競技に向けてゴルフリハーサル大会を支援しました。
2013年には「スポーツ祭東京2013デモスポ障害者ゴルフ」を開催しました。

また2013年からは、日本プロゴルフ協会(PGA)との共催で、「PGA HANDA CUP・フィランスロピー障害者ゴルフ大会」が毎年開催されるようになりました。この障害者ゴルフ大会は、PGAがフィランスロピー精神に基づいた社会貢献事業の一つとしてはじめたものです。実際には2008年から支援は始まっていたようです。

新型コロナが流行する直前、2019年12月には、メルボルンで開催されたプレジデントカップのスポンサーの一つになり、同じ会場において「ISPS ハンダ 障害者ゴルフカップ」が開催されました。プレジデント・カップの形式に似せて、地元オーストラリア選抜VS世界選抜という形で行われ、世界選抜が優勝しました。

同じ2019年には半田晴久会長(深見東州先生)に対し、ヨーロピアンツアーCEOキース・ペリー氏から、長年にわたって障害者ゴルフ、ブラインドゴルフを支援してきたことを感謝されます。
そして、ヨーロピアンツアー障害者ゴルフプログラム名誉アンバサダーとして、半田晴久会長に記念の盾が授与されました。
その年から、欧州障害者ゴルフ協会(EDGA)とヨーロピアンツアーが協力し、EDGAヨーロピアンツアーという障害者ゴルファーのためのツアーが始まります。
誰でもゴルフをできるようにとの時代の流れもありますが、深見東州先生の障害者ゴルフ普及への情熱が、ヨーロピアンツアーCEOのキース・ペリー氏はじめとする関係者に理解されたことも大きいのではと僕は感じています。

2021年〜2023年、北アイルランド開催のヨーロピアンツアー「ISPS HANDA ワールド・インビテーショナル 」においても、その障害者ゴルフツアーの大会が開催されていましたね。
現在はG4D(Golf for the Disabled)ツアーと名前が変わり、DPワールドツアー(ヨーロピアンツアー)のトーナメントと同じ週に、同じコースで開催する形で、年々ツアーの試合数も増えつつあります。今後は賞金が出せるようにとの話も出ているようです。

2022年1月には、ハワイで開催されたPGAツアー「セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」において、同じコースで「ISPS HANDA オール・アビリティーズ・チャンピオンズ・プレーオフ」という障害者ゴルフ大会が開催されました。
この大会は、前年のPGAツアー優勝者だけが出場する「セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」にちなんで、世界の主要な障害者ゴルフトーナメントで優勝した4人の選手だけが出場できる、障害者ゴルフ世界一を競う大会として開催されました。

優勝は全米障害者オープン優勝の米国の義足のゴルファーでした。また、この大会に出場していたアイルランドのブレンダン・ローラー氏は、国際スポーツ振興協会のアンバサダーで、生まれながらにして手足が短い「エリス・ファンクレフェルト症候群」という難病を患いながらも、障害者ゴルフに生きがいを見出し、障害者ゴルファー世界ランキング1位にまで上り詰めた選手です。
障害者ゴルファーとして初めてプロに転向し、障害者ゴルファーとして初めてヨーロピアンツアー(レギュラー)への出場も果たしています。
2022年12月には「ISPS HANDAオーストラリアオープン」が開催されます。これはオーストラリアにおける男女のナショナルオープンが合体したトーナメントになります。
ここでもG4Dツアーの一環として、「ISPS HANDAオーストラリアン・オール・アビリティ・チャンピオンシップ」が同時開催され、2024年まで同じ形式で開催されました。

書き忘れていましたが、国内で開催されている国際スポーツ振興協会の冠トーナメントにおいては、早くからプロアマ大会にブラインドゴルファーや、障害者ゴルファーを数名招待されてきたそうです。
プロの有名選手たちと一緒にラウンドができる上に、レッスンも受けられるということで、障害者ゴルファーたちにとって、大きな励みになっていると聞きました。
プロゴルファーたちにとっても、ブラインドゴルファーや、さまざまな障害を持つゴルファーが元気にプレーする姿を見ることは、驚きと感動を禁じ得ないそうです。プロゴルファー自身のゴルフに対する考え方にも、少なからず良い影響を与えているようですね。
パラリンピック採用に向けた具体的な取り組み
ここからは私の個人的な感想ですが、半田晴久会長(深見東州先生)は37年間、変わることなく障害者ゴルフ(ブラインドゴルフ)を支援して来られました。それも金銭的な支援だけに終わるのではなく、さまざまな困難で面倒な事柄を取りまとめたり、永続性のある体制を構築したりと、誰もしてこなかったこと、できなかったことをされてきたと思います。
レギュラーツアーやシニアツアー、下部ツアーやジュニアの育成においても、さまざまな形で支援をされてきました。
そのような活動の数々を世界の主要ツアーのトップや、関係する組織の人たち、またゴルファーたちも、長年にわたり見てきたのだろうと思います。

だからこそ「ワールドカップ・オブ・ゴルフ」や「プレジデントカップ」、また、「セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」もそうですが、ツアー主催者からも理解され、良好な関係の中で障害者ゴルフ大会を並行開催することが可能になったのでしょう。
そのようなビッグトーナメントと一緒に開催することのメリットは非常に大きく、メディアの目にも留まります。また、多くの観衆の目に触れますから、障害者スポーツとしての障害者ゴルフの認知度が飛躍的に増してきたのではないかと思います。
同時に障害者ゴルファーたちのレベル向上にも、地道に貢献されてきたことは前述した通りです。パラリンピックの種目になるためには、ある程度の競技レベルがなければ実現不可能でしょうからね。
そのような努力が身を結んでいるのか、ゴルフのルールを決めると言われるR & AとUSGA(全米ゴルフ協会)が動き、障害者ゴルファーの世界ランキングを設定することが2019年に決まりました。
ブレンダン・ローラー氏が、最初の世界ランキング1位になっていました。
今後は障害のカテゴリーとか、細かなルールなども含め、国際標準として整備されていくのでしょう。
R & AとDPワールドツアーが、障害者ゴルフの世界選手権とも言える「G4Dオープン」という大規模な大会を、2023年から開催するようになりました。そこでの競技方式やルール整備が、パラリンピック採用に向けて、障がい者ゴルフ競技の標準になっていくのかもしれません。

『世界ランキングの存在』と『公式組織による世界選手権の定期的な開催』、『全大陸に等しくプレーヤーが存在する』などのパラリンピック採用に向けてクリアすべき事柄が、一つ一つクリアされているように思います。
パラリンピックを見て思うのは、非常に細やかなカテゴリーに分かれて競技が行われていますよね。まだまだ整備し、やるべきことがあると思いますが、陰ながら、パラリンピック種目採用に向けて応援したいと思っています。