ボリス・ジョンソン来日、バレエ公演、ネットの話題から
東京芸術財団が主催するクリスマスイベントが終了しました。今回のイベントの内容は、またじっくり記事にしたいと思います。
それにしても、ボリス・ジョンソン元英国首相の人気は、日本でもなかなかのものですね。日本にもファンがたくさんいたんだなと、はっきりわかりました。
当日は、ボリス・ジョンソンに一目会うためだけに来た人が、数百人〜千人くらいいたんじゃないかと思います。
インターネット上でも、前日くらいから大きな話題になってましたね。各地でボリス・ジョンソンと家族を見たという投稿もありました。東京だけでなく、京都方面にも行かれていたようです。
奥様がインスタグラムにたくさん投稿されていて、海外からの反応もすごいことになってました。日本の良さを宣伝してくれて、それだけでも、来日してくれた甲斐があったのではないかと思います。
深見東州先生とはビジネス仲間である、YOSHIDA 時計店の社長が経営する寿司屋で食事をしている写真もありました。
現在の東京の寿司屋では、最高レベルになるようです。
ボリス・ジョンソンを呼べる理由
ところで、深見東州先生は、ボリス・ジョンソン氏とは、かなり以前から交流があったのではないかと思います。何もないのに、いきなり来日してくれるはずがないですからね。
ただ、いつものことではありますが、今回も、お金をたくさん積んで呼んだのだろうという投稿も見ました。もちろん謝礼はされているのだろうとは思います。しかしお金さえ出せば、ボリス氏のような海外の大物政治家が来てくれるのか?そんなわけがありません。
オバマ元大統領もそうでしたし、クリントン元大統領とか、サッチャー元首相などの大物になると、いくら政治の第一線から退いていても、民間人がお金さえ出せば呼べるクラスの人ではありませんからね。外交の専門家もそのように言われていました。ちなみにクリントンはノーギャラで来てくれたそうです。
そもそも英国王室と深い親交を持つ深見東州先生にとっては、英国の首相たちとも、自然と人脈が広がるのかもしれません。
なぜ、そのような人脈ができるのかについては、以下の記事にて詳しく書いてますので、そちらを参照してください。これが全てだと思います。

ロマンティックバレエと能のコラボ
それから、今年は2年振りにバレエ公演も見ることができました。そのバレエも、少し話題になっていました。
その中で、なかなか興味深いコメントがあったので、引用してみます。
深見東州主演のバレエ観てきた。踊るのかと思ったらただダンサーたちの中でウロウロしているだけで、衣装もいつも通の深見東州だし色々すごかった。何より美しいダンサーに囲まれる権力者(金持ち)のおじさんという図が「バレエダンサーはかつて娼婦だった」というのを思い出させてある意味感動した。
— 深沢 (@poseidonhole) December 16, 2025
昔の、男の欲にまみれたバレエが顕在しているのは今の日本で深見東州のバレエだけ!!かつてのヨーロッパのバレエの概念を視覚的に知ることができる稀有な機会。観たい者は来年の公演を待たれよ
— 深沢 (@poseidonhole) December 16, 2025
部外者で単に外から楽しんでる側として波風とか立てたくないからあんまりいつもは感想呟かないけど、今回はバレエをやってる身としてただ感想書いただけなのに伸びてちょっと焦る
— 深沢 (@poseidonhole) December 17, 2025
まぁみんな気になってても行かないし感想とか書く人いないからな
こちらの方は、深見東州先生のイベントにはよく顔を出されているようです。そして、この投稿がすごくバズっていたため、今回、僕の目にも留まりました。
おそらく、今回のバレエを見た人たちで、同じように思った人も多いかもしれませんね。「美しいダンサーに囲まれる権力者 (金持ち) のおじさんという図が、バレエダンサーはかつて娼婦だった、というのを思い出させてある意味感動した。」という表現が、なかなか面白い感想だなと思います。
バレエダンサーがかつて娼婦だったというのは知りませんでしたが、19世紀ごろの下級ダンサーは貧しい家庭の娘が多く、一部のダンサーは生活のために男女関係を伴う援助を受けていたことはあったようです。それが、外部から見て娼婦のように言われたのかもしれませんが、詳しくはわかりません。
娼婦の話は別にして、二つの点で、少し勘違いをされているようなので、そこは正しく書いておきたいと思います。
まず、「踊るのかと思ったらただダンサーたちの中でウロウロしているだけで、衣装もいつも通りの深見東州だし色々すごかった」という箇所は思わず笑ってしまいました。たしかに事情を知らない人からすると、そう見えたのでしょう。
実は、今回のバレエをするにあたり、深見東州先生は振付をされる中島伸欣東京シティ・バレエ団監督に対し、ロマンティックバレエと能のコラボをやりたいという提案をされていたそうです。そして、中島伸欣氏は、それなら「レ・シルフィード」だと思い、このバレエをアレンジして行うことになったようです。
そのことを知って見ていたのですが、たしかに今回の深見東州先生の動きは、能のゆったりとしたすり足の所作と、序破急が基本になっていました。そこに深見東州先生独特のユーモラスな動きも加わっていました。
なので、それを解説しておかないと、バレエの足の動きとは全く違う、能のすり足の動きが、ウロウロしているように見えたとしても、無理からぬことかもしれません。
バレエと異種舞台芸術の融合
ところで今から30数年前、深見東州先生が42歳の頃、クラシックバレエを本格的に学ぶため、バレエ団でかなり稽古をされていたことは、その当時、聞かされていました。
足を180度開いたり、またジャンプも1メートルほどの高さを飛べるほどでした。深見東州先生のからだは異常なほど柔らかいため、40代からバレエを始めてもやれるのだろうと、その程度の認識を持ってました。それでも苦労はされていたようで、難しい回転技などは、できないと言われていました。
クラシックバレエのソリストのような、華麗なテクニック、高度な技を習得するのは、さすがに40代からでは難しかったようです。
声楽は40代から本格的に学んで、10数年後には、日本で押しも押されぬトップバリトンにまで上りつめられ、世界的に著名なプロのオペラ歌手からも高い評価を得るまでになられましたが。
他には能と京劇においても、本格的に取り組まれ出したのは40代からですが、そこから能楽師免状を取得し、シテ方として、数々の能舞台公演を世界中で重ねられてきました。京劇は、最高クラスの師匠から学び、北京京劇院二級京劇俳優の指定を受けています。
しかし、多くのスポーツもそうだと思いますが、バレエとなると、若い頃から体を鍛え、普段から継続した積み重ねの鍛錬がなければ、到底一流のダンサーにはなれませんよね。京劇でも、武生という激しい立ち回りをする京劇俳優を目指すのであれば、やはりそうだと思います。
そのため、これまで深見東州先生が出演されたバレエを見ると、クラシックバレエの男性ソリストのようなバレエを披露する純粋なバレエ公演ではなく、異分野の舞台芸術と融合するバレエ作品に仕上がっています。
たとえば1993年の「天の安河のうけひ」はオペラとバレエ。続く創作バレエ「羽衣」は能とバレエ。あるいは能と京劇とバレエの融合した舞台、と言った具合でした。それはそれで、すごく見応えがある斬新な作品になっていました。
また、2020年代になって、再びバレエを始められると、コミカルな演劇的要素がある創作バレエ公演をされたり、役柄は年齢的にやれる役を、さらにアレンジして、パフォーマンされてきました。

そもそも75歳を迎える深見東州先生に、強靭な体力を必要とする高度なバレエを求める人はいないと思いますが、今後もそのようなスタンスでバレエに取り組まれるのだろうと思います。
今後もバレエに、能や京劇、あるいは日本文化を取り入れたり、親しみやすい創作バレエ作ったり、何か、新しい風を吹き込もうとされるかもしれません。
日本文化の歴史的哲学
それから、なぜ70代になられても、舞台に出続けられるのでしょうか。これは、決して美しいダンサーたちに囲まれたいからでも、自己顕示欲からでもありません。そこを誤解している人もいると思いましたので理由を書いておきます。
いくつか理由はあると思いますが、一つは日本文化の歴史的哲学から来ているといえます。それも二つあり、一つは西洋の文化・芸術は、多くが金持ちのパトロンによって支えられて来ましたが、日本の場合は文化や芸術を、それを支える時の権力者や貴族、天皇家の人々が、みずからも率先して嗜んできたことです。そこが西洋と日本の大きな違いと言われています。
天皇や貴族が和歌を詠み、文学を書き、書をかき、将軍が能を舞うというのは、よく知られている事実です。それが文化の継承にも大いに貢献してきたといえます。
深見東州先生もその伝統を継承し、日本の伝統芸能、また西洋の舞台芸術を支援し、若い芸術家を育てると同時に、自分自身でも取り組み、稽古に励まれてきました。
高度な芸術であればあるほど、知識がなければ十分に楽しめませんよと、よく言われてきましたが、上手い下手ではなく、実際にやってみて、その芸術の魅力、素晴らしさ、面白さがわかるとも言われていました。

また、その根底には、もう一つの理由である阿弥から来るものがあります。
今の日本文化は室町期から来ていると言われますが、その時代には観阿弥、世阿弥、能阿弥、善阿弥など、多くの「阿弥」たちがいて、日本文化を作ってきました。
「南無 阿弥 陀仏」の「南無」は、帰依する意味で俗人を指します。「陀仏」は出家です。その間にある「阿弥」は、俗人でもなく出家でもない、同時に俗人であり、出家でもあるということです。この「阿弥」を名乗る人たちは、芸術の修練や向上を通して、死ぬまで魂を磨き続ける生き様を目指したと言われています。
そのような日本文化の歴史と哲学があり、深見東州先生も、信仰に生きる宗教家であり、同時に経営者として俗人の中で逞しく生きる、当時の「阿弥」と同じような人だといえます。そして「阿弥」と同じく、芸術を通して、死ぬまで魂を磨き続ける道を歩もうとされています。
そのような背景を知らなければ、なぜ70代にもなって、バレエを行い、オペラを行うのか、本当の理由を理解することはできません。
ちなみに、日本文化に自信と誇りを持ってある深見東州先生は、日本は西洋文化に負けてはいないが、西洋文化もこよなく愛するそうです。そうでないと、日本と東洋に偏った偏屈な芸術家になるからだそうです。また、愛していないと、学ぶ気にもならないと言われていました。
そのような哲学とアイデンティティを持って、西洋と東洋の文化・芸術を学び、研鑽し、支援されているわけです。そこが欧米の王室、政治家、経済人、文化人たちからも一目おかれる日本人として、敬愛されてきた側面でもあります。同時に、自国の文化を愛し、他の国の文化も理解できる、真にインターナショナルな人間として、交流が広がり続ける理由の一つでもあると言えます。











