中途半端なまま、やめずに続けてきた結果
中途半端は素晴らしい。この言葉は、僕がワールドメイトに入会してほどなく深見東州先生より聞いた言葉です。
完璧主義こそが、素晴らしいという観念を持っていた僕にとって、この言葉の破壊力は凄まじいものがありました。
自分がこれはと思って取り組むものに関して、妥協するのが嫌で、パーフェクトに満足できるまでやらないと気が済まない性質がどこかにありました。単なる凝り性だったとも言えます。
しかし何事であれ、どんなに完璧を目指したところで、実際に完璧なんてものは永遠にないわけです。完璧主義とは、それは単なる自己満足に過ぎないことに気づかされました。
そして、ここでいう中途半端というのは、いいかげんな、チャランポランという意味ではありません。
深見東州先生も、仕事であれ、コンサートなどのイベントであれ、ワールドメイトの御神業であれ、何かをされる時には、徹底して良いものにしようと努力されます。中途半端でいいというのは、手を抜いてよい、という意味ではありません。
それでいて、深見東州先生の場合はさまざまな分野を、10刀流くらいのことをされているわけですが、どれも中途半端で良いと。完璧でないものは許せないとか、そんなプライドも全くありません。
一生、中途半端なままで良いと。どれも中途半端なまま終わって良いと言われています。ただ、中途半端なまま止めることだけはしないそうです。どこまでも止めずに、少しづつでも進歩向上していこうという姿勢です。
中途半端は素晴らしいことだ。中途半端なままで、止めずにやり続ければ良いと。それが、あらゆる分野において、今や一定以上の高いグレードになっていき、なんでもできる万能の人だとか、現代のレオナルドダヴィンチ、ルネサンスマンと言われるようになってしまったわけです。別に、ご自身で言われているのではありませんよ。
世界中、日本中でいろんな人を見てきた見識を持つ人たちが、そのように言われているのを、実際に何度も見ました。別に言われなくとも、深見東州先生の全てを見て知っていれば、そのように思えると思いますが。

ところで、ひるがえって僕自身のことに関しては、特別な才能があるわけではなく、また、深見東州先生のように、たくさんのことをしているわけではありません。
平々凡々な人間なのですが、中途半端は素晴らしいと言うお話を聞いて、少なからず人生に影響がありました。たとえば、今書いているこのサイトにしても、自分には文章の才覚なんかないし、書くのが恥ずかしいから、止めようとは思わなくなりました。
深見東州先生の素晴らしさを伝えたいと思ってはじめたものの、やってみると、決して簡単ではなかったわけです。ぜんぜん満足いかず、嫌になって、続かなくなってもおかしくありませんでした。
でも、中途半端なままでいいと。プロの物書きにならなくても良いのだから、日々、少しづつでよいから、向上していけばいい。未熟なりに伝えることができればいいと思うようになり、余計なストレスがなくなりました。
それで15年以上続いているのですが、去年、ウィルス攻撃を受けたため、サイトを新しく作り直さなければなりませんでした。ついでに過去の記事の文章を書き直すことにしたのですが、そこで気がついたのは、知らない間に文章力が随分と進化していたことでした。途中で止めなくて良かったと、しみじみと思いましたね。
もちろん、文章力は今でもありませんが、中途半端は素晴らしいと。このままあと15年くらい続ければ、プロの物書きのようになれるかもしれない、もっと伝わる文章を書けるようになるに違いないと、続けるモチベーションになっているわけです。












