深見東州 (半田晴久) 氏のさまざまな活動に参加してきたワールドメイト会員が案内します
社会貢献

ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動 (2)

Fuziwara

ワールドメイトのカンボジアでの支援活動(1)からの続きになります。

ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動(1)
ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動(1)

クメール・ルージュ被害者救済セレモニー

カンボジアには、ポルポト政権による自国民の大量虐殺という悲劇の時代がありますが、その実行犯達への裁判が、現在も行われています。

BBC JAPAN
クメール・ルージュ指導者に有罪判決、集団虐殺の罪では初
クメール・ルージュ指導者に有罪判決、集団虐殺の罪では初

ただ、このような犯罪を裁くことはもちろん必要ですが、いまだに大量虐殺によって苦しんでいる多くの遺族達の存在を忘れてはいけないと思います。主人や子供を虐殺された犠牲者の遺族達、残されて未亡人となった女性や子供達は、心の傷を負ったまま、極貧生活を送っている人も多いそうです。

本来でしたら、ボルポト政権という政府が犯した虐殺ですから、国がその保証をするべきでしょう。しかし現実的に、カンボジアの経済力の問題や、他にも複雑な事情があるのかもしれませんが、なかなか困難なことだったのかもしれません。

そこでワールドメイトでは、2011年まで5回にわたり、約4億円の基金でのべ3万世帯の遺族達へ、義援金とお米を一人一人に手渡しするセレモニーを行なってきました。もちろん、それだけで補償の代わりになるものではないことくらいはわかりますが、政府関係者と共に行ったことや、義援金と共に温かいメッセージを伝えたことに、大きな意義があったかと思います。また、この虐殺の体験のインタビューを行い、記録として残すという意義もあったそうです。

深見東州先生も私財を3000万寄付されましたが、そのときの深見東州先生の遺族に対する心のこもったメッセージを、私も10年くらい前に聞き、涙が止まらなかったことを思い出します。誰も、これまでにこのようなことをしてくれたことがなかったそうです。見捨てられることなく、このようなことをしてくれたことに対しての、遺族の人たちからの喜びが伝わってきて、感動で涙が溢れてしまったことを思い出します。

もともと仏教徒の信心深い国民なので、恨み続けることでこれ以上苦しまないよう、このセレモニーによって何かが救われ人たちが多かったのではないかと思いました。

「ワールドメイト未来の光 孤児院」の300人の子供たちを支援

カンボジアでは、虐殺や内戦によって多くの孤児達を生むことにもなりました。現在、ワールドメイトが支援する「ワールドメイト未来の光 孤児院」は、それを作ったヌオン・パリー女史への、ポルポト政権による蹂躙から始まったと言えます。

1975年のポルポト政権の樹立と共に、ヌオン・パリー女史への悲劇は突然やってきました。フランスに留学し帰国後結婚、2人の子供に恵まれ、財務省にも勤務していたヌオン・パリーさんですが、同年4月に突然クメール・ルージュ軍により、プノンペンから強制退去させられます。そして多くのカンボジア人と共に集合農場で強制労働を強いられました。

その後政情は変わりますが、内戦による苦難は続き、命の危機に瀕します。そんな流民となった難民生活中に、「クメール人民うつ救済センター」を、タイ国境部の大規模難民キャンプに設立します。そして内戦で傷ついた女性や子供達の救済にあたりました。

そこで10年働き、その後内戦が終わった1993年にプノンペンに戻ります。そこで郊外の私有地に、私財とフランスのフィガロ財団の資金を元に、未来の光孤児院を設立しました。

そのとき一緒にプノンペンに戻った子供達が90人ほどいたそうです。そして非常に困難な中でも、衣食住の世話を行い、公立学校に通わせ、英語教育も行なったそうです。なぜ、そんことができたのかは、神様のご加護があったとしか思えないと話されていました。

それから3年後の1996年、共通の知人を介して、深見東州先生と出会うことになります。深見東州先生はその場で宿舎の建設などを申し出られ、支援活動が始まります。その後も毎年のように訪問され、子供達とふれあい、必ずプレゼントを全員に手渡しされていたそうです。

そして、他の篤志家の人たちによる支援も含めて、施設の拡充が進みました。先進テクノロジーが学べる環境もでき、英語をはじめ、様々な技能を学ぶことができるようになります。

単に衣食住の面倒を見るだけではなく、将来の就職において有利になるような教育が行われています。それを映像で見ましたが、子供達のキラキラした綺麗な瞳がとても印象的でした。ホームページには300人近くの子供達を預かって、増え続けていると書かれています。

ヌオン・パリー女史は1994年にフランスのフィガロ賞を、1998年にはマザー・テレサも受賞したアジアのノーベル賞と言われる、フィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞しました。

ヌオン・パリー女史は2012年に逝去されます。その数年前、ワールドメイト未来の光 孤児院に名前を改称することを申し出られました。おそらく深見東州先生のことを信頼しきって、安心してあとを託されたのだろうと思います。

貧困に苦しむ子供たちのためのハンダ・アカデミーの開設

ここからは、ワールドメイトが資金の多くを支援する国際NGO(非政府組織)「ハンダ・ファウンデーション」の活動を3つほど紹介します。2012年に設立されて、米国、英国、そしてカンボジア王国で登録されています。

東南アジアのさまざまな国で病院や学校を建設するという使命を持つ、非宗教的、非政治的、非営利の組織です。 さまざまな個人や組織から資金を得ており、チェアマンである半田晴久氏(深見東州先生)の先見の明のあるリーダーシップによって推進されています。詳しくは以下のサイトを参照してください。

ハンダ・ファウンデーション(1) 〜設立の目的〜
ハンダ・ファウンデーション(1) 〜設立の目的〜


まず最初に紹介するのは、ハンダ・アカデミーの開設です。深見東州先生は、バッタンバンにおいても孤児院の運営を始められます。ただ、これまでとは違うのは、住み込みではなく通いにしているそうです。その方が社会に出た時のコミニケーション能力が身につくという研究にもとずいてのことだそうです。

2018年5月、孤児や、貧困家庭の不利な立場にいる子供たちのために、ハンダ・ファウンデーションが、「セーブ・ザ・チルドレン」、およびカンボジア政府とパートナーを組んで、ハンダ・アカデミーを開設しました。そこではコンピューターと英語を学び、スポーツを通してリーダーシップを学び、健康と衛生学の教育を無料で受けることができます。立派に職業を持てるようにすることにより、貧困から抜け出せることを目的としているそうです。

ISPS ハンダ・スポーツセンターの設立

二つ目は、ハンダ・アカデミー設立に先立つ2014年に、同じくバッタンバンにISPS ハンダ・スポーツセンターを設立します。このISPS ハンダ・スポーツセンターは、サッカーやバレーボールなど多くのスポーツができる広い敷地や設備があり、ネットやライトや人工芝なども備ています。

ハンダ・アカデミーの子供達だけではなく、地域の若い男女にも、スポーツをする機会を自由に提供しているそうです。そして運動だけではなく、チームワークやスポーツマンシップなど、自己を高めるためのレッスンも子供達に提供しているそうです。

ここバッタンバン州の僻村でも、スポーツの力によって成功したファイブス・フットボール(南アフリカ)のように、良い影響が起きるかもしれません。ファイブス・フットボールでは、子供達がサッカーをしたいがために勉強をするようになり、エイズ教育によって感染を防止できるようになり、犯罪率が激減しました。

さらにリーダーシップやマナーを学んで成長できるという、素晴らしい成果をあげています。ちなみに深見東州先生が会長を務める国際スポーツ振興協会(ISPS)は、ファイブス・フットボールのパートナーです。

ハンダ・モデル農場を開設し効率的な栽培技術を指導

最後は、同じく2014年、ハンダ・メディカルセンターから10分くらいのところにある4ヘクタールの肥沃な農地に、世界野菜機構やUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)と協力し、ハンダ・モデル農場を作ります。

そこでは果物や野菜などを栽培していますが、より効率的な栽培技術のトレーニングを地域の人々のために行う目的があるそうです。農家の人たちは、その地域にあったベストな栽培方法を学ぶことができます。家族に十分な食べ物を確保し、収入を増やせるやり方を学んでいるそうです。孤児達もそこで農業を学んで始めるようになれば、カンボジアにとってもさらに良いことになるでしょうね。

「ハンダ・ファウンデーション」の活動はさらに多岐にわたります。詳細を以下の記事に書いています。

ハンダ・ファウンデーション(2)〜活動内容〜
ハンダ・ファウンデーション(2)〜活動内容〜

私立カンボジア大学の創立

内戦が終わった時、カンボジアではほとんどの知識階級、熟練した技術者がいなくなっていました。また、国民の半数が20歳未満とも言われていました。それは2015年時点で、平均年齢24・5歳ということでもわかります。

フンセン首相は、深見東州先生と話すときに、教育がとても大事であることをいつも言っていたそうです。カンボジアを担う、優秀な人材を育てなければならないことが急務だったからでしょう。そこで、深見東州先生は、カンボジアのハーバードを目指して、私立カンボジア大学を作ることを決意し、2003年に設立されます。

それまでは、若干の私立大学や、王立プノンペン大学などの6つの国立大学がありました。しかし、カンボジア大学のような文科系の総合大学はなかったそうです。

そしてカンボジア大学は、当時国際レベルのMAやPh.Dを取得できるカンボジア唯一の大学にもなったそうです。また、「HANDA LIBRARY」という開設当初で5万冊の蔵書となるカンボジアでも有数の図書館を学内に有しています。

2006年には政府の教育機関からカンボジアの大学トップ3の評価を得ます。王立プノンペン大学やパニャサストラ大学とともに国内トップ3の大学に成長し、2016年には新しい校舎も完成し、さらに充実した教育環境が整ってきました。そのカンボジア大学を設立する資金を、ワールドメイトが全面的に支援してきました。そして新校舎の建設や、今でも運営に必要な資金を支援しているそうです。

さらに地方の貧しくて大学に行けるお金はないけども、優秀な学生が4年間大学に行けるようにと、2007年から「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラシップ」を開始し、3年間で1500人の学生に対して、無償で大学に行けるよう支援をしてきました。その後は、学術優秀者に授業料免除などの支援を続けています。

今のところ、カンボジアで大学まで行く人は1割くらいと言われていますが、そのような地道な教育支援と環境づくりによって、徐々に優秀な人材がカンボジアに増えていることでしょう。

そのような大学を設立することと並行し、小学校の建設も行いました。そもそも内戦が終わった直後は、教育環境が荒れ果て、3000以上の村に小学校がなかったそうです。また、小学校が存在していても、屋根がない吹きさらしの環境での野外授業が多かったそうです。

そんな場所に、最初は10校、そして毎年2校づつ建設していきました。2005年からの「フンセン小学校」プロジェクトをワールドメイトが支援し、2008年までに20校が完成したそうです。そのように、貧しい地域の子供達のための教育の支援と、優秀な人材を育てるための大学の支援を、並行して行ってきたわけです。

テレビ局、ラジオ局の開設

それから深見東州先生は、東南アジアテレビ局(SEA TV)、東南アジアラジオ局(SEA Radio)をカンボジア大学内に作りました。そして、その解説委員長を務めてます。

また、東南アジア英字新聞の論説委員長も務めています。当時のカンボジアのテレビ局は、エンターテイメント的な番組に偏っていたそうなので、日本でいうなら教育チャンネルのような教養系番組を放送することによって、カンボジア国民の教養レベルの向上を図られています。

ASEAN ニューリーダーの育成に貢献

ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動は、他にも「身体障害とエイズ孤児のための基金」の支援や、皆が綺麗な水が飲めるように、カンボジア全土に井戸を作るカンボジア赤十字活動の支援など、まだまだ紹介しきれていないものもあります。

最後に、深見東州先生が総裁を務める世界開発協力機構などが行ってきた、ASEAN ニューリーダーの育成に関する活動も紹介して終わりたいと思います。

2002年、深見東州先生は、ASEAN 公認のシンクタンクである国立カンボジア平和協力研究所の副総裁に就任しました。このシンクタンクは、シアヌーク国王の弟のシルブッド王子(当時副首相)が設立したものです。深見東州先生は、そのシルブッド王子とともにカンポジアで多くの国際会議を開催するなど、ASEAN 諸国のニューリーダーの育成に関わってこられました。

2005年には、カンポジアでアジア・エコノミック・フォーラムを設立し、毎年その開催を支援してきました。カンボジアをはじめ、主にASEAN諸国などから、政治家や経済人、学者が集まり、経済に関する意見交換や討議が行われました。これもカンボジアの若いリーダーの育成に、大きな役割を果たしてきたといえます。

他にもインターナショナル・ピース・ファウンデーションというNGOが創始した「Bridges  – Dialogue Toward Culture of Peace」という国際会議の、カンボジアでの開催を2009年と2010年に支援しました。

また、アジアにおける宗教間の対話促進と発展のために、アジア宗教対話開発協会(AFDD)を2006年に設立します。アジアの政府関係者と宗教リーダーが集まり、カンボジアで第一回目の会議を開催し、アジアにおける宗教間の争いや貧困の解決のための話し合いが行われました。

そのような数々の国際会議の開催を主導し、支援する中で、さまざまな問題解決や発展に寄与するとともに、ASEANやカンボジアのニューリーダーの育成に貢献してきました。

深見東州先生は、カンボジアのフンセン首相からの信頼も厚く、首相顧問に早くから就任されていました。さらに、その後フンセン首相の推薦もあって、上級大臣クラス扱いとなるカンボジア王国政府顧問に就任されました。

これによって、フンセン首相から別な政権になった後でも、継続してカンボジアに関する様々なアドバイスを政府にしていくことになるそうです。また、2009年からは、在福岡カンボジア王国名誉領事を務められ、カンボジアと日本の観光交流の推進にも、一役かわれています。

最後に余計なことかもしれませんが、フンセン首相の信頼が厚いと書くと、何か癒着があるのではないかと勘ぐる人もいると思います。フンセン首相によると、深見東州先生は、ビジネスの話を一切したことがないそうです。ふつう、首相と面会するときには、支援の話だけでなく、ビジネスに関する話もする人がほとんどらしいですが。そのことも深見東州先生への信頼醸造につながっているのではないかと思います。

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ワールドメイト会員歴は30年くらい
以前、「深見東州(ワールドメイト代表)の実像に迫る」というサイトを運営していました。わけあって、新たにサイトを立ち上げる事にしました。昔、書いた記事はリライトしてから、随時、こちらのサイトに投稿する予定です。
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