深見東州 (半田晴久) 氏のさまざまな活動に参加してきたワールドメイト会員が案内します

複数の顔を持つ深見東州氏のプロフィール

Fuziwara

同志社大学で語学を磨く

深見東州先生のジョークをまじえた英語でのスピーチ、討論、コミニケーション能力を見ると、ほぼネイティブレベルの語学力だと思います。インターナショナルな活動において、その語学力が大いに活かされ、欠かせない要素になっています。

その語学力は同志社大でESSに所属し、ひたすら研鑽してきたことで、その基礎が培われました。

実は大学では日本文化を勉強したかったとのことです。ところが父親の強い命令と、叔父が神戸大ESSで活躍していたこともあり、2人から無理やりにESSに入部させられます。

それを運命と思い、ESSの活動に徹していきます。3年生のときには部員400人の委員長(プレジデント)に選ばれました。

そして組織の改革を成功させるなど、そのエネルギッシュな活動ぶりは、学内でも話題になり、今でも部内の語り草になっているそうです。

同志社大学がある京都は外国人観光客が多く来日します。外国人に対し、英語で日本文化を論理的、具体的に説明する力も養なったそうです。

それらが結果として、英語によるディベート、ディスカッション、スピーチを大学生の時期にマスターすることにつながりました。

さらに日本文化を外国人に説明するには、もっと深い勉強が必要と感じ、書や能や茶道を学び始めます。その京都での大学生活の4年間が、現在の活動のベースになっているそうです。

その後、イタリア語、フランス語、中国語、ロシア語など、6、7カ国語で歌を歌えるほど、複数の語学への造詣を深めていきます。

就職で上京、営業で頭角を現す

大学卒業後はダイワハウスに入社し上京します。そこで初年度からトップセールスマンとなります。

営業の受注件数は常にトップで、その奇想天外な、度胸のある営業方法によって、次々と大手顧客を開拓していきました。

さらに業務の傍らに、銀座の道院紅卍字会に通い、根本宏氏のもとで研鑽を積みます。仕事と並行して、古典、古書、古文献などの読書や研鑽を重ねたそうです。

根本宏氏は、国士舘大学教授からの招聘を固辞し、大道の泰斗への道を歩み続けた道院紅卍字会随一の碩学だった方です。

そこで深見東州先生は、半年ほどで、根本宏氏より任天の導師になる人だと言われました。

予備校、商社の起業〜実業家として成功

根本宏氏を通じて、生涯の師となる植松愛子先生との出会いにより、ダイワハウスを約1年ほどで退職します。その後、26歳で学習塾を起業します。以来、あらゆる業界に精通する修行のため、多くの分野の仕事を経験することになります。

なかでも時計業界、予備校業界への参入時期は、不況の中、斜陽産業といわれていたにもかかわらず、修行ととらえて飛び込みます。そして苦労の末に成功していきます。

ちなみに予備校を始めたのは、「迷える子羊を救え」という天啓を受けたからと言われています。

現在では国内外に十数社の会社を持つ経営者となりますが、並大抵の苦労ではなかったと思います。旺盛な研究力と、度胸と根性で身につけた経営手腕もあり、初期の一時期をのぞいて、すべての会社が黒字経営になっていきました。

菱研(菱法律・経済・政治研究所)という会社では、経営者としての経験を活かして、主に中小企業コンサルタントを行なっています。

さらに菱研ではビジネスセミナーも開催し、キッシンジャー元米国国務長官やP.F.ドラッカー博士、アルビン・トフラー、サッチャー元首相、ゴルバチョフ書記長、ダニエルベル、レスター・ブラウン、ハンチントン教授、フランシス・フクヤマ、など、そうそうたるゲストを招聘し、交流を深めました。1990年代のことです。

経営に関する著作も数多く、銀行系シンクタンクから高い評価を受けたものもあります。

予備校経営においては少人数予備校業界の雄となります。大学受験の経験も活かし、教育者として、高い見識とユニークな指導で実績を上げていきます。2024年現在、関東一円に12校を展開しています。

受験教育についてのコラムを産経新聞で連載し、著作としても販売されています。

早くから宗教と事業を区別しながら共存させる

それはそうと、ワールドメイトの教祖として圧倒的な宗教的、神さまごとの実力をお持ちの深見東州先生が、ビジネスにおいても、ここまで実践し成功する必要があるのかと言う疑問も湧いてくると思います。

それは、宗教だけでは複雑な経済活動に生きる経営者の具体的な悩み、サラリーマンの仕事の悩みは解決できないということが、大きな理由としてあります。

経営者としてマネジメント力、営業力、財務管理、労務管理など、経営に必要な実力を身につけ、サラリーマンのことも熟知していなければ、現代の、経済や仕事の悩みを持つ人々に対して、より具体的な指導や、救済も難しいと思います。

深見東州先生のワールドメイトにおける悩み相談は、宗教的な癒しで終わらず、具体的で現実的な改善につながるアドバイスになっていることが多いと思います。

深見東州氏の実業家としての詳細プロフィール
深見東州氏の実業家としての詳細プロフィール

さらに大きな次元で捉えるならば、宗教家というのは、深見東州先生にとっては一面にしか過ぎません。

それ以上に芸術家としての創作活動や、福祉活動、スポーツ支援、人権問題など社会に貢献する取り組みなどなど、様々な活動を行なっています。

宗教だけでは世界を良くできないし、世の中を変えることはできないと言われていました。ですので宗教という枠にとらわれず、実業家としての経済活動も、芸術家としての活動も、社会をよくするための重要な要素になると僕は信じています。

最終的に目標としているのは、「日本を中心とした世界平和の実現」と言われていました。

現実的な面で考えても、経済の時代である現代においては、経済に強く、ビジネスに成功している人が、より広く人脈を築き、信用を得て社会に影響力を発揮できると思います。

芸術活動や、スポーツ振興を行うにも、やはり経済的な基盤がないと難しいと思いますが、現代においてビジネスで成功することの意義は、経済的な基盤を確立する以上の、大きな意味があると思います。

30代以降は万能性を発揮

著作活動は35歳頃から始まり、宗教関係以外にも、ビジネス、福祉、料理、ギャグ集、俳句集、短編小説、詩集、絵本、アニメ原作、博士号論文まで含めると、著作は280冊にのぼります。(平成27年末現在)

170万部を越える『強運』など、ベストセラーも数多く、どれもオリジナル性が非常に高く、役にたつ内容が書かれています。わかりやすいのも特徴だといえます。

音楽に関しては、ピアノを35歳から、バイオリンを36歳で始めます。作曲は38歳から行い、声楽は40歳からはじめ、さらに音楽理論と指揮を44歳から習いはじめます。

武蔵野音大特修科を46歳で卒業し、48歳で西オーストラリア州のアカデミー・オブ・パフォーミングアーツの大学院に入学、51歳で卒業し、修士号を取得します。

同時に舞台芸術にも1990年代初期から、能楽、バレエ、オペラ、京劇、劇団と、本格的な舞台活動に取り組んできました。

オペラの舞台は1997年、53歳でオペラ歌手としてデビューし、2000年代以降は主役とプロデュースを兼ね、毎年大規模な公演を行い、高い評価を受けてきました。

ベルカントで歌える日本屈指のバリトン歌手と言われています。中国では、国立中国歌劇舞劇院一級声楽家にも認定されます。

日本伝統芸術である能楽は、学生の頃からはじめます。その後は40代から磨きをかけ、宝生流家元らとニューヨーク国連本部やメトロポリタン美術館、エジプトのスフィンクス、カンボジアのアンコールワットで能楽公演を開催しました。

他、東京大薪能など、国内外で、40番以上、シテとして能を披露してきました。53歳で宝生流師範代となります。

京劇は40代後半から取り組み、48歳で京劇の泰斗の王金ろ先生と葉蓬先生に、人民大会堂で拝師の儀式を行い入門しました。2002年中国で開催されたアマチュアの国際京劇コンクールでは、トップに当たる金龍賞を受賞しています。

また、北京市立北京京劇院二級京劇俳優にも認定されました。国内外で多くの京劇公演に出演し、またシドニーオペラハウスでは、「梅蘭芳京劇団」と協力して京劇公演を成功させました。

マルチな舞台俳優、深見東州氏の舞台芸術
マルチな舞台俳優、深見東州氏の舞台芸術

音楽関係では、オペラの舞台以外にも、J-POP、アメリカンポップス、ラテン、シャンソン、アニメ、演歌、童謡まで幅広く歌えるボーダレス歌手として、35歳から今日(平成27年末)までの間に、多くのCD(111枚)、DVD (35本)をリリースしました。

歌手、オーケストラの指揮者として、40代からカーネギーホール、ロイヤルアルバートホール、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、新国立劇場など、国内外で多くのコンサートに出演してきました。

クラシックコンサートでは、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ルネ・フレミング、アンジェラ・ゲオルギューらと共演し、ポピュラー・ミュージックでは、トト、ジャーニー、ディープ・パープル、サバイバー、スターシップのボーカリストらと共演し、また、デヴィッド・フォスター、ベイビー・フェイス、ピーター・セテラ、マイケル・ボルトン、
キャサリン・ジェンキンス、メラニー・C、ヴァネッサ・ウィリアムスとも共演しました。

コンサートは大小含めると、令和6年までに200回くらい、歌ってこられたと思います。チャリティコンサートも数多く含まれています。

深見東州氏の音楽活動詳細プロフィール
深見東州氏の音楽活動詳細プロフィール

作詞家、作曲家としての才能も発揮し、これまでに約400曲以上を創作してきました。

器楽曲、管弦楽曲、ピアノ曲、演歌、シンガーソングライターとして、多彩な曲を作ってきました。粒ぞろいの作品なのに、僕は感動しています。

楽器はピアノやバイオリン以外に、和太鼓、能管などを演奏されます。

画家、書家、ファッション・ジュエリーデザイナー

書は高校生から始めますが、35歳から本格的に学ばれ、大英図書館に現代書家の名品として、作品の一つが収蔵されます。

2014年には大英博物館から招聘され、書のパフォーマンスを行い、好評を博しています。これまでに書画集、絵画集を15冊以上刊行してきました。

絵画は35歳から学び始め、日本画、水墨画、油絵、水彩、アクリルなど多彩な画家であり、優れた美術書を刊行する「美術書の求龍堂」の編集部長から、巨匠の3つの特徴をそなえた画家だと高く評価されます。

中国では、国立中国芸術研究員より、外国人初の一級美術師の認定を受けています。

他にも、華道、茶道の師範の免状を持ちます。

美術家、文芸家、著述家、クリエイターとしての活動
美術家、文芸家、著述家、クリエイターとしての活動

ファッションデザイナーとしては、2001年に初のファッションショーを開催しデビューします。

その時期に社団法人日本デザイン文化協会主催の「NDKファッションデザインコンテスト」で、かぐや姫をモチーフにした作品が、5千点中2位に選ばれ、七夕をモチーフにした作品も入選しました。

時計事業の一環として、時計宝飾のデザインも手がけるようになり、2024年からは「炉端手煮露」という別名で、ジュエリー・デザイナーとしてデビューしました。

ラジオのパーソナリティ

ラジオのパーソナリティ歴は長く、1990年、40歳からパーソナリティーを務めた「さわやか THIS WAY」は長寿番組となり、22年間続きました。

ラジオは放送コードが厳しいため、宗教家は特定宗派の布教につながると言うことでレギュラー出演ができないと言われています。しかし深見東州先生の場合は文化人として、放送業界で扱われているのでしょう。異例だったと思います。

また、以前に無実のセクハラ、脱税、霊感商法疑惑が、マスコミで報道されたときも、ラジオ局からの信頼は厚く、番組は普通に続いていました。誤報であることが、ラジオ局の人にはわかっていたのでしょう。

2009年からは「レオナルドTOSHUの遊びがNight」という番組が3年ほど続き、その後、「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」が、2015年から2019年まで3年3ヶ月ほど放送されました。

深見東州先生がパーソナリティーとして出演していたラジオ番組は以下になります。

  • 今夜もウェルカム(ラジオ日本)1985年7月~1985年12月
  • ハートのプラネタリウム(TBSラジオ)1988年10月~1991年9月
  • SEIZAN KENZAN(東海ラジオ)1991年10月~1993年3月
  • SEIZAN THIS WAY(FM福岡)1990年11月~1992年3月
  • さわやかTHIS WAY(FM山口)1992年4月~2012年3月
  • OVER HEAD COME RADIO(ラジオ日本)1995年4月~1997年4月
  • レオナルドTOSHUの遊びがNight(NACK5)2009年4月~2012年3月
  • 深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話(ラジオNIKKEI第1)2015年10月〜2019年1月

ラジオ番組だけでなく、テレビでもレギュラー出演する番組が2つありました。一つは2011年からTOKYO MX TV「世界のいま」 という番組で、1年ほど続きました。日本を担って活躍する人材をゲストに迎え、熱く語り合うトーク番組でした。

もう一つは、やはり2011年から2013年まで続いた、BS11 「サクセス登龍門」です。夢へ向かって努力する若者達を、本気で応援する番組として、成功への登竜門にある人々をゲストに迎え、深見東州先生がアドバイスをされました。

小説家・劇団・ギャグ満載のパフォーマンス

忘れてならないのは、ギャク作品集とギャグ系パフォーマンスです。

駄洒落やジョークは、昔から得意とされてますが、ギャグの連発がはじまると、プロのお笑い芸人でも真似できないと思うことがあります。

ギャグ系パフォーマンスを集めたビデオを制作したり、ギャグ写真集も、数冊刊行するほどギャグをクリエイトしていますね。

さまざまな講演会を数千回開催されてきたと思いますが、ためになる内容だけでなく、笑いがあり、ユーモアがあり、魅力的で人を引きつける話法の達人と言えます。

また、ギャグや言葉遊びをふんだんに取り入れたユニークな短編小説集を、これまでに3冊刊行しています。

また、その小説をベースにした脚本、演出を行う「明るすぎる劇団・東州」という劇団を、2006年に立ち上げました。数年間、定期公演を毎年行ない、とても好評でした。

言葉遊びを効果的に挿入した楽しい舞台でした。脚本家として、また演出家としても才能を発揮され、細やかな演劇指導も素晴らしいと思います。

みずからも、パントマイムで演技やモノマネ、形態模写を行うなど、観察力と研究力は半端ではなく、独自の世界を作り上げています。

小説だけでなく、自由詩による詩集、俳句集なども多く刊行してきました。現代俳句協会会員、社団法人日本ペンクラブ会員でもあります。

福祉活動家として

福祉活動は、ワールドメイトを始め、いくつかの公益性がある団体を通じて、カンボジア、中国辺境地、アルバニアなど、主に海外の最貧地域と言われるところで、多様な福祉活動、人道的な支援を30年前から、取り組みはじめました。

ここ数年は、東南アジアを中心に、活動が年々広がっています。

主なものは、カンボジアにおける24時間無料救急病院の設立と支援、ワールドメイト未来の光孤児院の支援、クメールルージュ犠牲者の救済、中国で130校を超える小学校の建設、貧しい子供たちへの教育援助、などの支援活動があります。

最近のものを含めると、かなり膨大になるので簡単な紹介にとどめていますが、詳しくは以下の記事を見てください。

ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動(1)
ワールドメイトのカンボジアにおける支援活動(1)
ハンダ・ファウンデーション(1) 〜設立の目的〜
ハンダ・ファウンデーション(1) 〜設立の目的〜

困窮する人たちへの支援活動は、対称となる人々の将来と現在を細やかに考えた上での支援になっていることに、いつも感心しています。なので余計な無駄がありません。

本当に必要な人に、必要なケアをされていると思いました。その国の将来にとっても良い影響を及ぼすものが多いのでしょう。当事国政府から高い評価を得ています。

盲人福祉関係では、英国王立盲人協会という、英国一の福祉団体の副総裁に就任されます。

この福祉団体の実質オーナーはエリザベス女王で、何度か謁見する機会にも恵まれました。

総裁は親戚筋の名門貴族が務め、副総裁にはイギリス国教会の大司祭も就任しています。そのような歴史と格式のある団体の副総裁に、日本人が就任するのは驚くべきことだと言えます。

ゴルフ、スポーツの振興

ゴルフは、盲人福祉の一環として、35年以上ブラインドゴルフの支援と発展に寄与してきました。

国内でも、多くのブラインドゴルファーが誕生しました。日本では、盲人の方たちが生き甲斐を見つけ、自己実現するためのお手伝いをされています。しかし当事者だけでなく、健常者や世界中のプロゴルファーの人たちにも感動と影響を与えています。

バラバラだった世界各国のブラインドゴルフ団体をまとめ、世界ブラインドゴルフ協会創設を実現し、初代総裁に選ばれます。世界レベルでの障害者スポーツ組織は過去に例がなく、画期的なことだったそうです。

現在は、盲人ゴルフを含む、障害者ゴルフ全体へと支援が広がっています。

深見東州氏とブラインドゴルフ
深見東州氏とブラインドゴルフ

2006年からはシニアゴルフの支援にとり組みます。2000年代の前半、日本のシニアゴルフは、特に女子にはスポンサーがつかず、厳しい状況におかれていました。

その窮状を聞かされ、手を差し伸べたのが深見東州先生でした。その参入に影響を受けて、いくつかのスポンサーとなる企業が続きました。

続いて、男子シニアを支援しますが、男子の試合数も大きく増えました。

欧米と日本のシニアゴルフの連携、シニアツアーとブラインドゴルファーの連携にもとり組んでいます。

この時期、米国女子シニア選手の希望で、ゴルフの殿堂入りスタープレーヤーが多数所属する米国女子シニアゴルフ協会会長への就任要請があり就任されます。以後、米国をはじめ世界の女子シニアゴルフ界においても、様々な形で貢献されてきました。

女子シニアゴルフの活性化に尽力
女子シニアゴルフの活性化に尽力

2006年に、国際スポーツ振興協会を設立します。もともとは、ブラインドゴルフの支援と、スポーツの社会貢献のために設立されます。

その後、スポーツの持つ力の素晴らしさを全面に打ち出し、「スポーツには、希望を生み出し、人々を動かして社会を変革する力があり、人々を団結させ、世界中の地域社会に一体感をもたらす。世界平和の追求においても、非常に強力なツールになる」との信念のもと、ボウリング、サッカー、ラグビー、アーチェリー、ボート競技などなど、さまざまなスポーツの振興に取り組むことになります。

また、スポーツの力や社会貢献をテーマにしたスポーツ平和サミットなども、世界中で開催し、スポーツの持つ力の意義を発信してきました。

そのためか、国連機関「文明の同盟」やバチカンの「SPORT AT THE SERVICE OF HUMANITY(SSH)」との提携も行われました。

国際スポーツ振興協会の活動は非常に多岐にわたるため、詳しくは以下の記事を参考にしてください。

深見東州氏のスポーツ振興
深見東州氏のスポーツ振興

学術関係、公益活動

学術関係ではカンボジア大学総長であり、中国国立浙江大学日本文化研究所客員教授、中国国立清華大学歴史学部顧問教授、英国ウルバーハンプトン大学経営学部客員教授、中国国立戯曲学院客員教授、などなど一流大学の客員教授に就任し、一時期教鞭をとりました。

国内では有明教育芸術短期大学教授として、声楽指導にあたっていたこともあります。学術資格は他にも多数あります。

また、当時中国No1とNo3の大学院で論文を書き、口頭試問にパスして、現在までに二つの博士号(Ph.D)を取得しています。「中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了(文学博士 )、中国国立浙江大学大学院中文学部博士課程修了(文学博士)」

また、財団法人協和協会の理事長を務めています。このシンクタンクは、岸信介元総理大臣によって設立された総務省所管の公益法人です。

政界、財界、官界、各界の有識者などが、党派や思想を超えて国家的・国民的課題を検討し、政府へ有意義な提言を続けています。その名門財団の理事長に選ばれています。

アジアでは、ダボス会議のアジア版のような、アジアエコノミックフォーラムを立ち上げ、会議を開き、チェアマンを勤めていました。

世界宗教対話開発協会の理事にも就任します。こちらは宗教から世界平和の道を探って世界の宗教間の対話を進めている団体です。

また、そのアジア版と言えるアジア宗教対話開発協会を立ち上げ、宗際化活動を続けています。

アメリカではインターナショナル・シントウ・ファウンデーションを立ち上げ、日本の神道と文化を世界に発信しています。

この団体は、国連と経済社会理事会との協議資格を取得している国際的組織であり、深見東州先生はその代表を務めています。

日本の神道がその精神性や自然性で、世界平和に貢献するために、国連認可NGOとして様々な提言をされてきました。

カンボジアでは、フンセン首相の要請を受けて、カンボジア首相顧問に就任しました。外国人が一国の首相の顧問になるというのは、カンボジアでも初めてのことでした。

現在は、カンボジア政府顧問(首相と副首相に次ぐ上級大臣)に就任しています。また、カンボジア王国福岡名誉領事にも任命されます。日本の外務省も承認済みです。

ほかにも多数の公職、要職があり、受賞歴、資格なども多数あります。

駆け足で紹介しましたが、まだ、深見東州先生の活動の3分の1程度も紹介できていないので、あとは活動分野別に詳しく書いた記事を参考にしてください。

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